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わたしは、縁故入社といった形で地元にあった中小規模の工場の事務員として、働くことになった。俗に言う、親の力で入った新入社員だった。
わたしの父は、長年勤めている工業系の会社で管理職を任されていた。そのせいか、他企業との接待も多く、まともに家にいることの方が少なかった。唯一、朝の出勤の時だけは顔を合わせて挨拶をしていたくらいに、父とまともに会話をしたことがなかった。
そんな父の娘に対する秘めた愛情を、今になって縁故入社という形で出してこようとは思いもよらなかった。元々言葉少なな父。わたしの入社時だけは、明るい口調で言葉をかけてくれたのが印象に残っている。
「瑞、頑張れよ」
「あ、はい」
実の親子ですらこんな会話しかして来なかったのに、わたしに会社勤めが勤まるのだろうか。基本的に、工場で働く作業の人たちとは顔を合わせても会話をすることが無かった。それがわたしの仕事だった。
「おはようございます」
朝の挨拶だけは小さな会社で働く全員が、声を合わせてする程度だった。その後は、日が沈む辺りまで電話の取次ぎと、発注した請求書や伝票などの数字を原本と照らし合わせながら、ただひたすらに入力していく。そんなような内容だった。
平日はその繰り返しを行ない、土日の休みはどこに行くでもなく自分の部屋で呆けるように過ごす日々を送っていた。高卒の新入社員だったわたしは成人を迎えるまでに、何かの目標が自然と浮かび上がって来るのか、正直言って不明だった。不安を抱えることの無かったわたしを心配する人は残念なことに見当たらなかった。
そんな日々の中、ふと思い出したのは卒業時に告白をされたことだった。進む道も目標も見つからなかったわたしだったけれど、そういえばわたしは好きな人は今までいたのだろうか。意識というものを、高校卒業と仕事を始めるまでに、男性に対してしたという覚えが無かった。
在学中、周りの友達たちには彼氏と呼ばれる男子がいた。友達と一緒にいた彼氏と、話をしていたわたしは何をどうすれば目の前の人を意識するのだろうか。そんなことを淡々と感じる程度で、好きと嫌いを思うことが無かったような気がしていた。
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