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それも美術館の廃墟だ。ハリケーンが通過したあとのようにはがれた天井からは配線が垂れ下がっているし、ミストグレーやモスグリーンに塗られた壁は、湿気で塗装が浮き上がり、汚くぽろぽろと剥げかけている。その壁に横一列に並べられた絵画は、金めっきの額縁の中で静かに黴菌の住処となっていた。
わたしたちはこれまで様々な国を旅してきたが、どこの地域でもほとんど似たようなものだ。記憶の殿堂である美術館は放置され、荒れるがままになってしまっている。
とある印象派の柔らかいピンク色をした美しい絵肌に、黴の黒いしみが点々と置かれているのを見て、有栖さん――わたしの上司は頭を振った。
「これはひどいな」
「ここまでなるものなんですか?」
有栖さんは画商だ。
画商とは、芸術作品を売る職業。わたしはそのアシスタントをしている。上司とは言っても、正確に言えばわたしのアルバイト先の店主、つまり雇い主だ。
中肉中背の男性だが、今は有害な黴の胞子を吸わないようガスマスクで覆っているので、顔は見えない。歳は二十代後半から三十代前半くらい。荒廃しきったその場にそぐわない営業マン風の小綺麗なスーツに、インターナショナル・クライン・ブルーの青いネクタイを締めていて、両手には茶色い革手袋をはめている。
彼が扱っている古い作品の中でも、こんなに状態が悪いものは見たことがない。
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