02.僕たち、あのころにもどったみたい

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02.僕たち、あのころにもどったみたい

サロン・ド・テ・プランタンのスタッフルームには、着替えに用いる目隠しカーテンがない。 いまのところスタッフには男しかいないのでなんとかなっているが、もしも女が入ってきたらどうすんだ、と烏羽は思っていた。それでも、あまり考えたくはなかった。女性なんかといっしょに働くなんて、おそろしいにもほどがある。 スタッフとなれば、当然だがお客様ではなく、立場は対等になる。どんな顔をして接すればいいのかなんて、わかるはずがない。今日まで積み上げてきた「できるやつ」のハリボテを、いまさら崩されるわけにはいかない。 今日は新人が入店してくると聞いていた。二分の一の確率に怯えたが、男で安心した、はずだった。どうしてこんなにいらいらするのだろう。 「ふーん、そっかあ。ふーん」 くりかえすが、サロン・ド・テ・プランタンのスタッフルームには目隠しカーテンがない。 ますますもって、いらいらする。自分の着替えが終始堂々と監視されているのであった。もはやカーテンはなくともよい。ただロッカーの向かいに、さあ観賞してくださいとばかりにソファーを置くことはやめてほしい。そこに座って、いつまでたっても帰らないのは幼馴染。彼を振り返ることすら、もはやわずらわしい。 「千聖。いつまでいるんだよ」 「まあまあ」 城二千聖。進学でいちど離れたことはあれど、つきあいそのものは長い。小学校低学年のとき、「家、どのへん」と訊いたら「宇宙」と返ってきたことがある。そのつかみどころのない言動から、しばらく信じていた。いま思えば馬鹿なのはこっちだと、烏羽は情けなく思っていた。 「奈音ってさ、べつにいい身体ってわけでもないよね。もうちょっと筋肉盛りなよ」 おまけに失礼。身体を動かすことが得意ではないのは自覚していたのでしかたなかったが、それでもあまりいい気分はしない。細すぎるといってもいい背中を隠すようにして私服に着替えた。 城二はなにかまたビスケット菓子でもかじっているのか、硬いものをかみくだく音がずっと聞こえていた。烏羽はロッカーに鍵をかけると、一瞥もくれずに部屋を出ようとする。 「じゃあな」 すると、ビスケットの音があとをついてくる。気のせいではない。店を出ても、歩道を歩いていても、駅までの道をぴったりとついてくる。 「は? なんの用」 「いっしょに帰ろうかと思って」 烏羽は、すっかりつけるタイミングをうしなったイヤホンを、ジャケットの胸におしこんだ。城二のことがわからないのはいつものことだが、きっと今日だってなにかの気まぐれに違いない。 「って、お前は地下鉄だろ。俺はあっち」 「まあまあ」 気づけば、地下鉄の駅は通り過ぎている。まさか、と思っているうちに城二は烏羽のとなりにならんできた。うちまで来る気か、の台詞に、もういちど「まあまあ」で返される。 烏羽のため息が、高架下で電車の音にかき消された。 ずっとそれで通せると思ったら大間違いだからな。烏羽がようやく城二をにらみつけると、彼はいい意味でも悪い意味でも分け隔てない、いつもの笑顔でだまっていた。 烏羽が自宅にだれかをあげるのはこれが初めてだった。 大学で友人と呼べる存在はすくなかったし、家族とも疎遠だ。だから引越しの初日に業者が出入りしたくらいである。 性格が幸いしてか、どこもかしこも片づいている。掃除だってしてある。見られたくないものもないわけではないが、普段から自分しかわからない場所に隠してあった。 「おじゃましまーす」 しかし、躊躇なくあがりこんできた城二はいまにもそこらへんを漁ってしまいそうな雰囲気だったので、ひとまずおとなしくしろと命令口調で釘を刺す。手を洗え、それからうがいもしろ。 「そしてどういうつもりなのか話せ」 「えー。たまにはゆっくりお話しようよ」 「話なら店ですればよかっただろ」 「なにか甘いものない? キャラメルチャイいれて」 自由かお前は。思わずつっこみそうになったのを、ぐっとこらえる。そんなの、いまにはじまったことではない。しかし仲良く洗面台の前にならんで手を洗ってうがいをしたら、自然にちゃぶ台をはさんで向かい合ってしまった。これではまるでほんとうに友達のようだ。 「うちに甘いものはない。キャラメル茶葉もない。牛乳は切らしてる」 「えー。じゃあ、なんならあるの」 ダージリンのファーストフラッシュが、茶園違いでいくつかあるだけだった。キッチンの戸棚を開けてみせると、「うわあ」と意味深な声が返ってくる。 「出た出た。こういうところ、奈音らしいよね。しかも茶園の名前がアルファベット順にならんでる」 ぱっと見ただけで、よくそこまでわかるものだ。 「でも僕はファーストよくわかんないから、適当にいれてよ」 今日はラストまで働いたから、すっかり夜になっている。ほんとうなら簡単な夕食をつくっているころで、当然腹も減った。しかし城二に関しては半分以上あきらめているところがあるので、もはやいらいらするのも馬鹿らしかった。いちばん古い茶葉から出してやろうと思って、缶の底に貼りつけた手書きのラベルを確認しはじめる。 いつもつかっているケトルに水を入れ、安物のコンロの前で湯が沸くのをひたすら待っていた。IHとくらべて時間がかかる。ふたりとも、いつまでもだまったままでいる。 「堂島リゼくんだっけ」 城二がなにか言った。そこでちょうどケトルの蓋がはずれてわずかに湯が吹き、烏羽はあわてて火をとめた。そういえばコンロの前で棒立ちになったまま、ポットすらあたためていなかった。普段なら、こんなミスはしない。 「あのつかえない新人がどうした」 「初日でつかえないもなにもなくない? あの子さ」 紅茶をいれる手順が雑になる。缶の中身がほとんど減ってしまっているのをいいことに、茶葉をポットに直入れした。だれも見ていないからいいと思いたかった。 ようやく湯をそそいで、五分の砂時計をひっくり返す。だれもあげたことのないはずの自宅には、なぜかティーカップがふたつあった。テイスティング用と、普段使い用。それぞれ形は違ったが、どちらもダージリンを飲むために最適なものを探して選んだものだ。 「あいつがなんだって」 べつにつづきを急かさなくともよかった。そんな話、聞きたくなかった。 「りかちゃんに似てるよね」 だれだよ、それ。言いながら、なんどもキッチンとちゃぶ台を往復した。非効率的だが、ポットとカップをまとめてのせるトレイがなかった。 「覚えてないの? 中学のころ、奈音好きだったじゃん」 「べつに好きじゃなかった。それにあいつは、お前とつきあってただろ」 「あれれ、覚えてないんじゃなかったの」 烏羽はばつが悪そうにあぐらを組んだ。城二を相手にしたとき、こういうところがひどく苦手だ。 「じゃあ覚えてない。知らん」 「そういうことにしといてあげる。あのときさあ、僕は結局ふられちゃったから、奈音とつきあってればうまくいったかもしれないのにね。なに考えてるかわかんないんだって。向こうから好きって言ってきたくせに、いやんなっちゃう」 つまり彼はなにが言いたいのだろう。つつかれたくない記憶を、こまかい針でちくちくと引っ掻かれている。 紅茶がはいるまでの五分はやけに長かった。烏羽は普段使い用のカップを城二に回すと、やけどだけしないように注意しながら雑にそそぎ分けた。 「ありがと。甘いものないの」 「ないって言っただろ」 「あ、僕が持ってた」 城二のかばんから月餅がふたつ出てくる。そういえばいつだって彼のかばんには、魔法のようになにか甘いものが入っている。ほんとうはまだなにか入っているに違いないが、ひとまず置いておくことにした。 彼がくれた月餅は、ダージリンのファーストフラッシュと見事に調和した。どっしりとした甘味のある餡も、空だった胃袋にすんなりおさまった。烏羽の眉根に寄りがちだった皺が、わずかに緩む。 「奈音は考えてることがすぐわかるからさ、あの子には奈音のほうがよかったんだろうな」 「だからそんなやつは知らん」 「はいはい」 自分の月餅をあっというまに食べ終えた城二は、つぎは鈴カステラを取り出して食べはじめた。なんだ、やっぱり自分でいくらでも持ってるじゃないか。烏羽はため息をついたが、自分自身にもう甘いものは必要なかった。 「リゼくんもさ、僕に惚れないかな」 「男だぞ。なに言ってんだお前」 「知ってるよ。でも、りかちゃんに似ててかわいいじゃん」 城二が空のカップを無言で烏羽に寄せる。おかわりを入れろと言っているようだ。ここは烏羽の家なので、彼は素直にしたがうしかなかった。 「そうなってもどうせまた、なに考えてるかわかんねえって振られるんだろ」 「奈音はさ、そうやって僕の古傷をこじ開けるんだ」 「自分で言いだしたんだろ。それに」 烏羽はだまってしまう。俺の古傷はこじ開けたのはお前だと、「忘れた」女のことで怒ることはもうできなかった。しかし、どうせ傷ついてもいないくせにと悪態をつくこともできなくて、代わりに自分のカップを空ける。もう一杯紅茶をそそいだら、ポットの中身は空になってしまった。 「お前、わざわざこんなこと言うためにうち来たわけ」 「そうだよ。ご不満ならいくつかお菓子置いていくけど」 「いらん」 「まあまあ、そう言わずに」 かばんからつぎつぎと甘いものが飛び出してくる。魔法にも、まやかしにも見えた。いくつか取り出したあとで、城二はさっさと帰ってしまった。奴の自宅は宇宙にあるのだ、きっと。 烏羽はふたりぶんのカップをさげる。最後に、城二のこぼした言葉が気になっていた。 なんだか僕たち、あのころにもどったみたいだよね。a3c5bb4c-179f-4a26-bbdf-0ce5f4697267
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