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何でもないこんな昼下がりが、忘れもできない特別な日になる事がある。
この世に不変のものなんてない。
ずっと変わらないと思っていたこれまでの生活ですら、ちょっとした切欠にやむを得なく追従する形で様変わりもする。
こうして呼吸している肺や、動悸を繰り返す心臓ですら、眼にみえてないだけでゆるやかに変質していき、そしてやがては死に至る。
この世に不滅なんてものはない。
俺達はそれらを意識しないように日々を誤魔化しているだけで、道の先に待ち受けているのは絶対的な『終わり』という存在。
俺達はただ、一方向にながれる時間というその波間に浮き沈みしているに過ぎないのだから。
だから訪れるそれらに、一々と心を揺り動かされる必要はない。
初めから知っていた事だ、事ある場面で真に受けて戸惑うなんてのはまるで馬鹿げている。
それでも、その必要のない事――その無駄をこそ、心砕いて受けてめてしまうのが人間って生き物なのかもな。
例えば飼っていた犬が死んだ時、緩やかに衰弱していくその身体は”有情”だった。
俺達の為に、彼はゆっくりと時間を掛けて別れの心積もりをさせてくれた。
散歩に行きたがらなくなり、食が細っていき、やがて後ろ脚が立たなくなった。ずっと横たわっている状態が続き、やがて眼も見えなくなった。
それでも近づけば彼は鼻を鳴らし、手を遣れば探り当てるように首を動かして舐めてくれた。
最後のその瞬間まで、彼は俺達に優しかった。その『終わり』は俺達にとって優しかった。
充分に、俺達にお別れをする時間と、もう一緒にはいられないというその事実を知らしめてくれたのだから。
子供の時分から、あまり泣いた事はなかった。
そんな自分が、それこそ周りが分からなくなるくらいに泣いてしまったのは、諸々が済んだ後でだ。
ペット葬儀の人が引き取りに来て、もう固まってしまった彼を車へと抱えて運んだ。そして長いこと見送った。
自室に戻り、勉強机に座って、それまで同様の冷静な気持ちで「意外と大丈夫なんだ」と思ったその瞬間に――
視界が、溺れそうになった。
自分でも分からず声を上げていた。
そういうよく分からない仕組みで、”心”ってヤツは動いてるらしい。
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