3人が本棚に入れています
本棚に追加
例えばそれが、あまりに突然知らされた事であったとしても、このよく分からない仕組みの”心”ってヤツは未だ平静を保っていたりする。
知らず自分の心が無機質に鈍化して来ているのか、それとも「今はまだ」っていう事なのか。
あの時のように、何かの歯車同士が不意の瞬間に噛み合って、時と場所など関係なく自分でもどうする事もできない状態になってしまうのだろうか。
本当、侭ならないってのは厄介なもんだ。
例えばそれは、どうしようもないくらい俺達には力及ばない次元の話。
そしてこの世界が誕生してから連綿と受け継がれ、繰り返されてきた証のようなものでもある。
だから悲しむべきではあっても、どこか納得はしているんだ。
子供の頃――自分が漠然とそれをイメージし、理解したと思っていた以上に、それは唐突に数多く繰り返されてしまって、気付けば小さく縮こまるような身の守り方を知らず体得していたみたいだ。
負ってきた怪我の分だけ、少しは賢くなったって事なんだろう。
例えばそれを他人が聞けば、馬鹿馬鹿しいものと鼻で笑うのかもしれない。
ただのジョークを、余りに大勢が面白がって囃したてたに過ぎないのかもしれない。
けれどもそこに、俺達は”価値”を見出してしまったんだ。
その広まったジョークを全力で楽しみ、当て処ない情熱を傾けてしまうぐらいには。
他人からすれば下らない事に、全身で構えていた。
他人からすれば時間の無駄な事に、全霊で応えていた。
余りに沢山、その下らない事に元気付けられてきた。
余りに沢山、その時間の無駄な事に奮い立たされる瞬間があった。
誰かにとっては違っても、別の誰かにとっては眩しいばかりの”価値”がある――結局それは、あらゆる事に押し並べて言える話なんだろう。
普遍的なものはあっても、絶対の価値観なんてものは存在しない。
そうやって集い、繰り返し、重ねて、ぶつけ合って、そうやって生まれてくるものだからこそ、掛け替えのないものとなる。
始まりや切欠には、元から然して違いなんてない。
ただ俺達はそこに価値を見つけて、ただ俺達はそこで自己研磨をし、ただ俺達はそこで表現者となった。
きっと、そういう一連だったからこそ、忘れられねえんだ。
最初のコメントを投稿しよう!