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というわけで、俺の主張が何なのかと言えば、それじゃあ諸君はテレビの原理は説明できるのかということでもある。ブラウン管の原理ならばまだ説明出来るという賢明な諸兄がここにはいらっしゃるかもしれない。俺だって説明出来る。しかしそれでも、液晶となってしまえば俺は帽子どころか、往来の真ん中でパンツまで脱がなくてはならないハメにおちいっていしまう。
液晶の原理を説明できたとしても、テレビがどうやって組み立てられて、その素材がどうやって吟味されて、そもそもその素材がどうやって作られて、どうやって集められて、それもどうやって生まれたかまでを説明出来ると言うのだろうか。それを説明出来たら、俺は帽子くらいまでは脱いでもよさそうだが、パンツまで許すことは出来ない。もしも電波についてまで説明できると言うのならば、しぶしぶながらズボンを脱ぐことまでは許してもいいかもしれない。俺じゃなくてお前がな!
というところで、つまりはそういうことだった。
一般の方がテレビの原理も素材もその開発者に発想を与えた最初のひらめきの元となるものについて事細かに述べることが出来ないように、――その同レベルで――俺には今日がどうしてタイマムシンが発明された特別な日であるかを説明出来ないのだった。
もし説明出来る人がいるのだったら、平身低頭してその教えを請いたいと思うし、それが納得の出来ないものだったら俺も一般大衆に混ざってその人物を詰ることもやぶさかではなかったりする。
そうして意味は分からないが今日はタイマムシンが発明された記念すべき意味の分からない特別な日なのであって、そういうものはそういうものだったのだから仕方がないと納得していただく以外に救われる方法は存在していないのであった。
――信じるものは救われる。
良い言葉だった。
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