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(よく首を切らなかったもんだ……)
と、司葉公太は他人の額を斬りつけた時の感触をそこに回復しつつ、己の掌をまじまじと見た。微かにまだ事件の感触が残っていて、目を凝らすと何やら白い光の帯が掛かっているような気がする。
その傷害事件以来、公太はこんな風な白熱した凝視を生活のなかに持つようになっていた。かつての明るくて、何の網にも捕らえられない蕩児にはあり得ないことだった。彼は周りに他人がいることをしばしば忘れ、その凝視を友の制止や忠告によって破られることが増えた。
「何だシゲか」
と言い、公太は先ほどから布団部屋の入口で、青年の看護をしている自分をずっと見つめていたらしい友達を振り向いた。
この人の好い友達の額には、これから口にしようとする心配事の影が一つの雨雲のように浮かんでいた。
(大方察しはつくな)
と思いつつ、公太は彼が大事にしている美青年の寝間着の襟を引き上げてやった。日下真一郎には、数か月前に公太が絵のモデルとして雇った頃の容色はないと言ってよく、整った目鼻立ちは痩せた顔のなかで時に石ころのように光り、白かった肌は布団部屋のなかで蝋のように見えた。
「寝てるの?」
「ああ、」
「入ってもいい?」
「かまわねえよ、」
シゲはそろりと影を踏むように入って来て、寝ている真一郎の顔に顔を近づけると、「これ、どっち?」と尋ねた。
「日下だ――真一郎のほう。井戸水をぶっかけたのが効いたのか、こないだの一戦以来この頃鳴りを潜めてやがんな」
「そう」
かつてあれほどその容色を親い、王子、という渾名で呼んだシゲが、顔に硯を投げつけられたのが余程応えたのか、今や公太に誰何しなければその影にも触れなかった。
「俺がそっち行くよ――煙草吸って来る」
公太は短くそう言って立ち上がった。出ていく時、彼は赤ん坊をあやすように真一郎の掛け布団を軽く叩いた。
「もういいの」
「ああ――」と、公太は縁側を吹き通る風のなかに煙を吐き出した。彼はこうした遣り取りは早く終わらせたかった。
「公は、あの人と寝たの」
「そりゃどういう意味だ」
シゲは童顔の友の唐突な問いについ吹き出しかけた。同時に彼が錐の先のような真剣さで自分に突き当たろうとしていることに多少怯んだ。彼はたのしい友情において真剣さをそれほど持ちたくない。実際、純情な友は蒼白な顔をしていたくせに、その問いを深めるうちにみるみる赤面した。
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