月を見ながら

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 女の勤め先に子供の通う保育園から連絡が入った。勤め先が緊急連絡先になっていたのだ。ここ一週間、お宅の従業員の子供が登園しないという内容だった。母親から一度休む旨の電話が入ったが、その後全く連絡がないらしい。母親が出勤しているか知りたいと言う。  ところがスーパーの方も一週間無断欠勤している。携帯に何度も掛けてはいるが応答はなく、一度アパートを訪ねてみたが留守の様だった。それに加えて履歴書に書いてあった女の母親の連絡先に問合せてみたが、母親も何も知らなかった。スーパーの店長は「やっぱり警察に通報した方がいいでしょう」と言い、保育園側も同意し、直ちに通報する事となった。  程なく二人の警察官が来た。そして彼女の行き先の心当たりや交友関係を聞いていった。交友関係と言っても彼女との付き合いはなく、誰一人彼女のプライベートを知るものはいなかった。警察官は安否の確認を取るために、親子が住むアパートを訪ねたが返事はなく、部屋は静まり返っていた。  その後、兄妹二人は変わり果てた姿で発見された。母親とは今だ連絡がつかないという。スーパーの同僚達は一様に絶句し、一体何があったのか誰も想像がつかなかった。密閉された部屋で栄養失調と脱水状態に陥ったのだ。幼い二人は体力もなく力尽きるまで、何日もかからなかったのではと言う者もいた。  3日後、母親は逮捕された。事件のニュースで観念した女が、一緒にいた男に促され出頭したのだ。男の話によるとニュースを見る女の様子は明らかにおかしく、激しく動揺していて、問いただすと、死んだのは自分の子供だと打ち明けた。  私はもう全て「どうにでもなれ」という気持ちでした。決して彼といたいという気持ちが強かった訳ではなく、ただ現実から逃げたかっただけです。当然、大人がそばにいないと、幼い子供がどうなるかは、明らかに分かっていました。  最後にドアの鍵を閉める時に何か覚悟のようなものが出来ました。子供も私もこれで終わりだろうという覚悟でした。途中、何度か後悔もしましたが、もう戻れませんでした。このまま行くしかないと思いました。子供は私にとって、ただ鬱陶しい物、私の幸せの邪魔をする物でしか在りませんでした。  長年、親を恨んで生きてきましたが、親は私を殺す事はなく、私はここに生きています。私は、あんなに憎んだ父親をもはるかに超えた、鬼になりました。
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