10:ラッキー・デー?

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「若」  パントリーの奥から山崎に低い声で呼びつけられて、またしても何かヘマをやらかしたか、と若山はおそるおそる近づいた。 「はい?」 「ドメーヌ・デ・マランドのシャブリ。グランクリュ」  すいっと淡い黄金色の液体が注がれたワイングラスが差し出される。 「ちょっとしかなかったから寺田とか大河内には内緒ね」 「あ、ありがとうございます」  若山はグラスを受け取ると、ゆっくりとグラスを回し、香りを確かめてから少し口に含んだ。  ワインを飲んだ経験がそれほど多いわけではないので詳しいことはわからないが、たしかに普段よく出ているプルミエクリュに比べ酸味が少ないのにそれでいて豊かな味わいがありきりりとした辛口でおいしかった。  客が飲み残したワインはこのように綺麗に消費される。飲兵衛なウェイターが浅ましく……ではなく、後学のために。  ワインリストを手にした客に、そのワインがどのようなものであるのか説明を求められたときに、「わかりません」では済まされないのだ。  ワインブームがすっかり定着した昨今ではボトルワインが出る機会も多いのでワインについての知識は増やしていかなければいけない。なのに、それと反比例するように、最後の1杯は店のウェイターのために残しておくという古き良き時代の不文律は潰えてしまっているため、このようにたまたまボトルの底に残っていたワインでも貴重な勉強の材料になるのだ。 「若、ソムリエ目指してるんだって?」 「はい、いちおう……」  若山は面食らった。ソムリエになりたい、と口に出して自分の希望を言ったのは入社試験の面接の時だけだ。  それを何故、山崎が知っているのだろう? 「本当はテイスティングノートつけたりしたほうがいいんだろうけど。まずは、いろんなワインを多く飲んで舌を肥えさせないとね」  ぽかんとしている若山に、口角を少し持ち上げるようにして笑い掛けると 「がんばって」  と、ぽんぽんと肩をたたいて山崎はホールに戻っていった。  どちらかというとコワイ人というイメージで山崎を敬遠していた若山にとっては少し意外な出来事だった。
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