16:インフルエンザ

2/9
1106人が本棚に入れています
本棚に追加
/330ページ
 若山は山と積まれたクリーニング済みのリネンを前にただ機械的に手を動かし、いくつものビショップス・マイターを折り上げていた。  テーブルナプキンを折り畳んだり、シルバー類やゴブレットを磨いたりするのもウェイターの仕事の一つだが、それはあくまでもホールが空いていて特にすることがない時の話。決められた休憩時間をわざわざ潰してまでする必要はない事だ。  しかし、若山はランチが終わって人の波がすっかりひいてしまった三時を過ぎても休憩室に向かう気になれないでいた。 「秀ちゃん」  黙々と作業を続けている若山に、見かねた寺田が声を掛ける。 「それ、もういいから休憩行っておいで」 「……はい」  先輩にそう言われば従うしかない。若山は作業の手を止めると仕方なく休憩室に向かった。  二つノックをして、そろりと休憩室のドアを開けると案の定、中はしんとしていた。  合皮張りのソファに腰を下ろすと胸ポケットからセーラムワンを取り出す。火をつけ口に咥え、腰を圧迫している邪魔臭いカマーバンドを外すとそのまま横になる。  目を閉じると空調の低い機械音だけがやけに耳につく。一歩外に出れば大勢の人が行き交う喧騒があるというのに、若山はまるで自分がこの世にたった一人でいるような錯覚に陥った。  ――何故こんな事になってしまったんだろう?  それは、ここ何日かの間、何度も心の内で繰り返される疑問。
/330ページ

最初のコメントを投稿しよう!