19:遠ざかる背中

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 寺田が「秀ちゃん、駅まで一緒に帰ろうかー」と暢気な声でなんでもないように誘うが、若山は「いえ、ちょっと急ぐんで……」と見つめていた携帯を慌ててカバンにしまい、「お先に失礼します」とそそくさと帰ってしまった。  残された寺田は若山が去っていった扉を見つめながら、背後にいる大河内に振り返らず声を掛ける。 「でんちゃん」 「……なんすか」  まだ何も言われていないのに、つい言葉に棘を含んでしまう。 「あれ、主任に会いに行ったっぽいぞ」 「え」 「今日、山口主任休みだったし、お迎えに来てるのかもな」  頭にかーっと血が上った。考えるよりも先に、ばっと着替えてロッカールームを飛び出していた。廊下を駆け抜け、途中にあるタイムレコーダーでタイムカードに時間を印字するのももどかしく地下から地上へとでる従業員専業口へと向かう。  外に出ると夏の夜の湿気を含んだ熱がむわんと身体にまとわりついた。裏通りから表へ飛び出すとぐるりと全方向を見渡す。まだそう遠くへは行っていないはずだ。  そこに、大通りの反対車線に停まっている黒のセダンにまさに今身を滑り込ませようとしている若山をみつけた。街路灯がまるでスポットライトのようにその姿を浮かび上がらせている。 「秀ちゃん!」  なりふり構わずに大声で叫んだ。しかし、ちょうど車道の信号が赤から青に変わり、何台もの車が大河内の目の前を通り過ぎていく。喧騒の中で声はかき消されてしまった。     
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