お姫様、動物弁護士の助手になる

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〇ダルタニャン 言わずと知れた『三銃士』の主人公。ちなみに、『三銃士』はアレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』の三部作のうちの第一部に過ぎず、第二部『二十年後』、第三部『ブラジュロンヌ子爵』と続く。有名な鉄仮面のエピソードは第三部で出てくる。 史実の彼の名はシャルル・ダルタニャン。父の姓はカステルモールなのだが、母方の祖父がそれなりに名の知れた軍人だったので、母方の姓ダルタニャンを名乗った。 1630年頃に銃士隊に入隊し、銃士隊が一時解散させられた後は宰相マザランの部下となって働き、銃士隊再結成後に紆余曲折を経て銃士隊長となった。ただし、国王直属の部隊である銃士隊は、正確には国王ルイ十四世が銃士隊の隊長で、ダルタニャンは「隊長代理」である。(実際の指揮権はもちろんダルタニャンにあった) シャルル・ダルタニャンは、マザランを嫌っていた『ダルタニャン物語』の主人公ダルタニャンとは違い、宰相マザランに尽くしてお互いに信頼関係があったようである。また、1673年にシャルル・ダルタニャンが戦死したという報告を聞いたルイ十四世は王妃への手紙で「私はダルタニャンを失ってしまいました。私が最も大きな信頼を寄せていた男です。何事につけても私によく仕えてくれた男でした」と嘆いたという。 ちなみに、三銃士のアトス、アラミス、ポルトスにもモデルがいる。史実のダルタニャンとアトスは同年代で、アラミスとポルトスはダルタニャンより年下である。 アトス(史実の名はアルマン・ド・シレーグ・ダトス・ドートヴィエイユ)はルイ十四世が即位した年(1643年)に決闘騒ぎを起こして死亡。アラミス(史実の名はアンリ・ダラミツ)は軍人を引退後、故郷で修道院長に就任。ポルトス(史実の名はイザック・ド・ポルトー)は銃士隊を離れた後にナヴァランクスという要塞の守備隊に入ったが、後に引退して故郷に帰った。 ダルタニャンと史実の三銃士が銃士隊に一緒にいた時期は、おそらく1643年(ポルトスが銃士隊に入隊した年であり、アトスが決闘で死んだ年)のたった一年間だけであったと思われる。 〇恋に年齢なんて関係ないわ! ダルタニャンは結婚してすぐに離婚しているので、サラにもチャンスはある……?    
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