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何かに気付いたように、ふ、と先輩がこちらを見た。ちょいちょい、と手招きをする。聡子が近くによると、先輩は腕を伸ばし、その細い指を髪に絡めた。
少しのあいだ髪がもてあそばれ、しばらくすると、左耳のすぐそばでパチンと音がした。目の前にある先輩の顔が、嬉しそうにゆがむ。
「やっぱ似合うねぇ」
聡子が耳元に手を延ばそうとしたとき、先輩が腕時計を見るような仕草をし、「アンタ時間大丈夫なの」と言った。見れば休憩時間を過ぎている。
聡子は慌てて屋上の扉へと駆けだし、ドアノブを握る寸前にハッと振り返り、「あの、これ──」と耳元に手を当てながら言った。
ありがとうございます
出かかっていた言葉は消え、代わりに唐突な静寂がおとずれる。先輩がつけてくれた「それ」を外してみると、ナデシコの小さなピン止めだった。太陽にかざすようにすると、碧空に薄いピンクが溶ける。
鋭いクラクション。
にわかに騒がしくなる大通り。
不安定に揺れながら響くサイレン。
すべてが水の中の出来事のように、遠い。
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