イコールゼロ

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テレビでは依然として恐慌に駆られた人たちをなだめるようなセリフで構成されている。きっと、200年の歳月というものは人類滅亡を人々に受け入れさせるのに十分なのだろう。子供には、この日人間は終わるのよ、とまるで寝物語でも聞かせるように話し伝える。空は青いと同じように、それを不変の事実と教わった子供たちは恐怖も何も感じないのだろう。社会は終焉に向けて急激に変革を遂げる、そんな主旨のことを大学の教授か誰かが言った。 そんなことを聞いても眉一つ動かさなかった僕だが、一つだけ目を見張ったニュースがあった。 それは、考えれば当然のことだが――雪を見れるのは限られた年数しかないらしい。 僕はそれを聞くとキィを抱いているのも忘れ立ち上がった。キィが驚いたように僕の元から離れる。僕は風呂を沸かしているのも忘れ貯金残高を確認しに行った。 そして何年ぶりかに、子供の悪だくみのような笑みを浮かべた。それは心の底からの笑みだった。 行くならばやはり東北だろうか。やはり北海道……いや、ずっと憧れだった海外に行こう。カメラはインスタントカメラや携帯のではつまらない。親から少し無心して高級なカメラの代名詞ともいえる一眼レフというのも悪くない。なにせ、もうなくなってしまうのだから、残す写真は良いものがいいに決まっている。となると明日1日は買い物に使って、親か友人にキィを預けて明後日から行こうか。 人類が滅亡することを知っても日本は回り続ける。飛行機だって出る。それは僕が明日いつも通りに出社しなければいけないのと同じように。 しかし、全てゼロになるのだ。僕一人無断欠勤したところで、それによってクビになったところでそれは変わらないのだ。 ならば、なんで僕はこんな狭い(かご)の中で死にたいと呟かなくてはいけないのか。死ぬ勇気を出すよりも、1週間くらいサボることのほうがよっぽど容易だということに今更気付いた。 皮肉なものだ。まさか、僕に前を向かせたのが驚天動地の滅亡の事実なんて。 僕はふと、中島(なかじま)(あつし)の言葉を思い出した。人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い。 傀儡(かいらい)のように長く生きる日々はもう終わりにしよう。一人自棄になろうがいいではないか。 願わくば、僕の人生が短いものでありますように。
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