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人類滅亡を題材にしたフィクションはいくらか見てきたが、まさか自分の手が届かないところで終わるなんて想像していなかった。
テレビの中では、政府の偉い人が情けない顔で答弁をしている。記者たちは質問することで世界を救えると本気で思っているようだった。これから社会はどうなってしまうのだろうか。僕の矮小な脳みそでは、これから犯罪率が高まることくらいしか想像がつかなかった。
人は必ず自棄になる。俺が何をしたところで、どうせみんな死ぬんだ。忘れてしまうんだ。そういう考えのもと、人を害し自分が思うやりたいことをする。自殺率も高まるだろう。たとえ自分がどんな偉業を成し遂げたって、全て無になる。なら今ここで死んだって同じじゃないか。
僕はここで、はっと気づいた。そしてほんの少しの聡明さに救われたとも思った。
僕だって御多分に洩れず、自棄というエネルギーで自ら死ぬ道を選ぶ未来だってあったかもしれない。実際自棄になる人の気持ちも十二分に理解できる。
しかし、やはりそれらは滑稽と笑わざるをえない。
なぜなら人類が滅ぼうとも滅ばなかろうとも、僕たちの選択、生き方には何ら意味はないのだから。
人は必ず死ぬ。これは天地がひっくり返ったって変わらない事実である。それは皮肉にも何億年とたたずんできた太陽がたった1200年でなくなることからも証明できる。
そして等しく無に帰る。何百人救った大英雄も、何十人殺した殺人鬼も、自殺妄想を繰り返す凡庸な社会人も、初めから存在しないのと同義である。
どうして生きているんだろう、そんな問いかけはもはや陳腐と化した。しかしこれに対する唯一の答えがないのもまた事実である。
つまり、全て無くなってしまうのにどうして生きているのだろう。この問いかけをした人の深層にはこのような意味があったのだろうと今ここで気づいた。
今全ての人にはこの問いが可視化した状態で突き付けられた。いつか終わる漠然としたものではなく、200年の時がたてば必ず終わるものとして。
ならば別に、変わらないじゃないか。終わりが見えるか見えないかの違いだけで、生れた時から死ぬのが確定しているのは寸分たりとも違わない。それに僕たちには見えるだけであって届くわけじゃない。今まで生きてきた人たちと、突き付けられた条件は全く変わらない。
ならば、僕はどうしようか。
答えは――僕も自棄になることにした。
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