猫はお好き?

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私はしばらく、その蝶を観察していた。止まっては動き、また止まっては動く。その繰り返しだった。つまらないものだ、と、私は自分の右頬を(さす)りながら考えた。壊れたおもちゃじゃないか、まるで。自分にとっての翡翠の蝶は、壊れたおもちゃ程度のものに過ぎないのか。そう思うと、胸の奥から湧出する嘲笑を、堪える訳にはいかなかった。 自分が少なくない侮蔑の眼差しを向けていると、どこからか猫がやってきた。身なりは見窄らしく、毛並みも汚い。腹は痩せこけ、今にも肋が浮き出そうなほどだった。それが野良猫であることは、誰が見ても明らかだった。そうして恐らく、彼(彼女)は野良猫の世界におけるヒエラルキー内で、随分と下層に位置しているということは、また明白であった。 暗闇の中で眼だけをぎらつかせて、猫は家々のブロック塀の上を這うようにして進み、小路に降り立った。そして、脂が固まった鼻で何物かの匂いを嗅ぎ取ると、踊り狂う蝶に目を向けた。 蝶は、猫に気づかれたことも知らずに、一心不乱に踊り続けていた。足音を消して蝶ににじり寄った猫は、その前足で蝶を二三度小突いた。しかし、蝶が何の反応もなく踊り続けているところを見ると、興味を欠いたように、弄ぶのを止めて蝶を口に加えた。そうして、その流麗な翡翠の翅を毟り取り、ほとんど一口に平らげてしまった。 猫は、自分が蝶を食ったことに何の感動も無い様子だった。猫は大きな欠伸を一つすると、覚束ない足取りでブロック塀へと登り、闇夜に溶けて消えていった。ここまで、一分も無かったような気がする。いや、自分が余りにもその所作の美しさに見惚れていたから、時間が幾分速く経過しただけなのかもしれない。しかしながら、終わってしまえば何と言うことはなかった。何気ない食物連鎖の、何気ない一幕だった。 自分は踵を返し、家路を急いだ。夜の帳は色濃く、住宅街を覆っている。春の夜空には、黒い折り紙を真円に切り取ったかのように、小さな満月が昇っていた。私は懐から煙草を取り出し、その内の一本を抜き出すと、百円均一で買ったライターで火を点けた。随分と凡庸な日々の、極めて凡俗な一日の、とある光景のお話。
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