1.午前0時42分16秒

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入社式で一度訪れた事があるが、それはもう随分と遠い昔に思えた。俺も今年で遂に29歳だ。それなのに本社に呼び出しとは……言い知れぬ恐怖が身を包んだ。ようやく俺は認識したのだ。クビを切られるのではないかと言うリストラの危険性を。  小宮山(こみやま)グループのトップに君臨する小宮山社長。そんなビルの最上階にいる高所好きの人間とは、個人的に会うことなど一生ないと思っていた。だって俺は地を這うゴリラだ。だが、社長室で俺を待っていた社長も……またゴリラであった。それも蝶ネクタイをつけた知的そうなゴリラだ。 「今日は呼び出してすまなかった」  俺は直立不動で、今まさに二足歩行を覚えたてのゴリラのように社長の前に立っていた。全てが重厚そうなのだ。敷いてある絨毯、机、椅子、空気。何よりも大きなハメ殺し窓から見える景色が俺の知っている普通の町とは思えないものであった。 「さて、なんの話かと言うと……君にひとつ仕事を頼みたくてね。但し、断るという選択肢はないのだよ。何故なら断れば君はこうだ」  そう言って社長は自分のクビを親指で掻っ切るジェスチャーをした。俺はその流れを汲んでシナリオ通りの言葉を紡いだ。 「それで、私への仕事とは何でしょう」 「君の勤勉ぶりは私の耳にも届いている。なによりも今回の仕事を頼むにあたって徹底的に身辺調査をさせてもらったからな」  いつの間にそんな事が行われていたのか、全く気がつかなかった。だが、俺という人間を評価してもらえたという事には素直に喜びを感じた。どんな仕事であれ、この同じ匂いのする社長の為ならば俺はやってやろうという気になった。 「では早速だが、今から家に帰ってくれ。それが君の仕事だ」  我が耳を疑った。まさか新手のクビ宣告なのだろうか。衝撃とまだ解れない緊張のせいで、俺は引きつった表情を浮かべてただ立っているだけだった。 「聞こえなかったか! 家に帰れと言っているだろう! 早く帰らなければ私は今すぐにでも本当にお前のクビを跳ね飛ばして……!」  そんなとんでもない事を叫んだ社長に誰かが横から飛び蹴りを食らわせた。真っ赤なハイヒールと真っ赤な眼鏡フレーム、そして真っ赤なスーツに真っ赤な口紅。 「私は秘書の丸の内よ! 古川さん、早く行ってちょうだい!」 「は、はい」  俺は言われるがまま何も分からずに自宅マンションへと全速力で向うのだった。
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