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「加えて言えば人が欲多き罪深い肉体を持って生きなければならないこともそうです。
例えば食欲で言えば、飢えてこそ食べられることへの感謝が生まれるように本来人々は色々なことに感謝するべきで、それが他者への思いやりに繋ります。
現世とはそういう当たり前と思うことの大事さに身を持って気づく初歩の世界なのですよ。
そして徳を積むというのは何も全てを擲(なげう)って人々に捧げるといったものではありません。
例えば相手がそれに反応せずとも笑顔で挨拶をするとか、困っている人の手助けをできる範囲で行うなど、そんな小さなことで良いのです。
要は各個人が周囲の人々の幸福を願い、その為に考えうる行動を心掛け、自分の良心に恥じない生き方を継続していきながらその範囲を広げていくことが“徳”というものなのですよ。」
噛んで含めるように優しく岐司は語った。
彼の説明は分かる。だが、なぜそれが隠世で殊更(ことさら)に必要とされるのか理解できない。
娑婆では金がすべてと言っても過言ではなかった。
それがあればあるほど発言力は増し、多くを持つ者に人は平伏(ひれふ)す。それこそが実力であり評価だった。
それがここではなんの意味も持たず、一転して今まで研次が軽んじていたものが最も重要だと言われても現世とは余りにもかけ離れていて、とても承服できない。
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