呪文

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呪文

「ダヒナ=ツベ=クトハ=ウヨキ」。 それは、平凡な日を特別な日に変える、呪文(じゅもん)である。 はるか昔、おれは1億の同胞(どうほう)とともに旅立った。 長い旅の間、仲間たちは、ある者は道に迷い、ある者は飢餓で、ある者は罠にかけられ、ある者は自死を選んで、ひとり、またひとりと死んでいった。 足元のふらつく仲間に肩を貸しながら、しかしその仲間も次々と倒れていった。 終着点である大きな扉の前に着いた時、残ったのは、おれただ一人だった。 その扉に、書いてあったのだ。 「ダヒナ=ツベ=クトハ=ウヨキ」。 そして声が聞こえた。 この日のことをゆめゆめ忘れるなかれ、と。 忘れそうになったときは、この扉の呪文(じゅもん)を思い出せ、と。 そう、これはもう昔の話だ。 誰ももう憶えてはいまい。 でもほんとうは誰もが知っている、あなたが命になる前の話だ。 1億の同胞(どうほう)から選ばれて、あなたは生まれてきた。 だから、この呪文(じゅもん)を唱えるのだ。 命になった日から、命尽きる日まで。 その奇跡に思いを()せて。 あなたが生きている、今日は特別な日だ。 「ダヒナ=ツベ=クトハ=ウヨキ」。 それは、平凡な日を特別な日に変える、呪文(じゅもん)である。 しかし、この呪文(じゅもん)のほんとうの意味は違う。 「奇跡であるあなたの人生に、特別でない日など、一日たりともない」。 それは文字通り、命に課せられた、(のろ)いの言葉なのである。
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