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さっきまでの恐怖心は消え去り、頭の中に浮かんだのは救急車を呼ぶことだった。
「待ってください。今、救急車を呼びますから」
「…………な」
「え?」
微かに聞こえた声に耳を傾ける。
彼は雨音に消え入りそうな声で「……呼ぶな」と言っていた。
「このままだと肺炎を起こしかねません。呼びますよ」
はっきりと言うと彼は力なく首を横へ振った。
「……保険証……もってない……」
「え……」
保険証がない。
携帯していない、そう言う意味ならば「後から持っていけば返金されますよ」と答えた。
「違う……保険に入ってないんだ……まだ……金もない……」
私は文字通りフリーズし、かろうじて肩に挟んでいた傘を落とした。
はっきりいって自分の保身を図るなら、放っておくのが一番だ。
だが、そんな非人道的なことを私が出来るはずもなかった。
そう、私の取り柄は“真面目”なのだから。
「妙なことをしないと誓うなら、うちに運びます」
初めて言ったセリフだった。
今まで私に妙な気を起こす人などいなかったからだ。
私の言葉にピクリと反応した彼は頷いた。
「お、重い……」
自立歩行をしない人間を運ぶのは容易ではなかった。
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