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畑の中央でしゃがみ込んでいた男が、おもむろに立ち上がった。九条の顔がこちらを向いた。
「暖!」
全身が喜びで震えた。やっと会えた。ずっと会いたかった人が目の前にいる。
「律!」
九条も声を上げて、こちらに向かって走って来る。だが律は、全速力で走れなかった。自分の一メートル先を、子供が小さい歩幅で走っているからだ。
九条があっという間に律の近くまで来た。子供の前に立ち、膝を曲げて座った。
「この子は――」
困惑したような、でも少し嬉しそうな声だった。
「俺の子だよ。まだ名前がなくて――」
律は語尾を濁し、目を伏せた。この子を受け入れてほしいとは言いづらかった。
「兄さんに、この子の出生届を出してほしいって頼まれたんだ。俺もそうしたいと思う。戸籍がないなんてかわいそうだから」
「そうだな。出生届、早く出してやらないとな。その前に律の就籍だけどな」
九条が軍手を両手から外し、子供の頭を優しく撫でた。そして顔を上げ、律の目をまっすぐに見つめた。
「もし律が――この子を引き取って育てたいなら、俺は反対しない。一緒に育てさせてくれればね」
「――暖」
それしか言葉が出てこなかった。
今自分は、夢を見ているんじゃないかと思った。こんな、自分に都合が良いことが起こるなんて信じられなかった。
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