ひとりのおふろ

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 彼女は開業医の一人娘で、いつもステキなデザインの洋服に身を包み、ランドセルの色も一人だけ違うものだった。クラスの女子みんなが麗子のようになりたいと思っていたし、郁美もまたその一人だったと記憶している。  憧れの存在から予想だにしないことを指摘され、郁美は激しく動揺した。 「麗子ちゃんは一緒に入らないの?」  緊張しながら尋ねると、麗子はサラサラのロングヘアーを上品に手で払い、「まさかぁ」とクスクス笑んだ。ショックだったのは、そのクスクスから明らかな侮蔑を感じたからである。 「もう一年生なのよ? 一人で入るに決まっているじゃない。お家の人と一緒に入るなんて赤ちゃんみたいだわ。麗子は年長さんの時から一人で入っているもん」  今にして思えば、麗子は羨ましかったのだろう。両親ともに医者であったから、彼女と過ごす時間はごく限られていたに違いない。確かお手伝いさんがいたはずだが、令嬢である麗子は一人でお風呂に入らざるをえなかったのだろう。  しかしながら、小学一年生ではそんな事情まで汲み取れるはずもない。郁美は麗子の意地悪な言葉に激しく傷つき、つい先ほどまで全身を満たしていた誇らしさや喜びは、そのまま恥ずかしさへとすり替わってしまった。  この絵はもはや汚点でしかない。郁美はその日の放課後、誰もいないのを見計らって掲示板からその絵を剥がし、校舎の裏手にある焼却炉へ放り投げてしまったのだった。
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