ターゲット

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 男は札束には目もくれず、後部座席の窓を軽くノックした。 「危険です」 そう告げる運転手の言葉を無視し、女性は窓を半分下げた。 「ごめんなさい。少し急いでおり大変なことをしてしまったわ」 怯えることなく女性が男にそう放つと、 男は女性の目を見つめながら優しく微笑み返した。 「この雨ですよ。靴から下着の中まで既にびしょ濡れですよ。気になさらないで――」 男は意外な言葉を放つと、平凡な住宅街にはそぐわない高級車が走る理由を察していた。 「空港ですか?」 「ええ。大事なお客様を迎えに――」 男は再び微笑み返すと、札束を握りしめる運転手に対し何やら話始めた。 「次のT字路を右折、50m程先の自販機で左折すると陸橋が見える。 その手前の一旦停止はタイヤが止まるまで必ず停止、陸橋の真下で雨天に関係なく週末の夜はハイエナがいる。そこを抜けると空港までの国道に抜ける。」 運転手は驚いた様子で、聞き入っていた。 「それじゃ。気をつけて」 「あの、お礼は――」 男は後部座席の窓越しに近づき、女性に小さな声で囁いた。 「こんな素敵な女性と会話出来た。もうそれで十分ですよ。」 そのセリフを耳にした女性は咄嗟に再び声を掛けた。 「クリーニング代は?――」 男は口元を緩めながら降りしきる雨の中、車と逆の方向へと歩き出した。 雨音で、運転手には二人のやり取りは聞き取れなかったようだが、 立ち去る男の後姿を見送りながら、女性は静かにほほ笑みを浮かべていた。
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