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私の家庭は少々複雑だった。
私の実父は、母と当時2歳だった私を捨てて愛人の元へ行ってしまった……らしい。
それからの数年間は、母子二人、小さなアパートを借りて細々と暮らしていた。
一方その頃、義父は仕事の都合でイギリスに住んでおり、そこで知り合った西洋人の女性と結婚して海が生まれていた。海の実母は間もなく病気で亡くなり、義父は亡くなった奥さんの実家で海と祖父母の四人暮らしをしていたという。
私と海が別々の場所で7歳を迎えた頃、義父に日本への転勤命令が下った。
当初、半年から一年の帰国予定だった義父は、海を祖父母に預け、単身日本にやって来たのだ。
しかし、外語大学時代のサークル仲間が開いてくれたお帰りパーティーで、後輩だった母と再会し寂しい二人は恋に落ちてしまった。義父は海をイギリスに残したまま、母と再婚して小さな一軒家を購入し新生活をスタートさせたのだった。義父と母と私。三人の生活は夢のように幸せだった。 物心ついた頃から片親だった私は、自分におとうさんというものができたことを素直に喜んでいたし、義父は私に優しかった。と、いうより甘かった。
母と違い、おもちゃやぬいぐるみをねだればいつでも買ってくれたし、休日に私が行きたいと言えば遊園地でも水族館でもどこでも連れて行ってくれた。遊び疲れた私を義父はいつもおんぶしてくれる。義父の背中で眠るのは買ったばかりの羽根布団よりも心地よかった。
家の中でも私は義父にべったりで、膝の上は私の特等席だったのだ。
母は「あんまり結奈を甘やかさないで」と苦笑しつつも、私が義父になついていることが嬉しそうでいつも笑顔だった。
その頃、学校があまり好きじゃなかった私にとって、義父と母と私、三人でいられる時間が何よりも幸せだった。
その幸せがいきなり現れた海のせいで壊れたのだから、幼い私が海を疎ましく思うのは無理もなかった。
どうやら、結婚前の義父と母との話し合いで、私との生活が安定したあとで、頃合を見計らって海を日本に呼ぶことが決まっていたらしい。
その頃合がその日だったらしい。
でも私は、海という弟の存在を小学3年生のその日まで知らずに一人っ子として親の愛情を当たり前のように独占して過ごしていたのである。
なんの覚悟もできていなかったのである。
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