シャワー

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元より夫を引き止めるつもりはなかった。しかし、無謀にも自分に会いたいと言って来た夫の相手というものに興味をそそられたのは、事実だ。 夫を寝取られた女を嘲笑するつもりか、既婚者に傷つけられたと恐喝するつもりかとでばってみれば、まさかの泣き落とし。男本人にならいざ知らず、その妻に泣き縋るという神経は、泉美の想定を超えたものだった。 だから、夫と続かなかったのだろう。 泉美だって、夫と結婚後に涙を流したことはある。それは、漏れなくこのシャワーの下でだった。 この家に越して来た当初、泉美は仕事で行き詰っていた。同業で働く夫には、同業だからこそ仕事の話を持ち込まないでほしいと言われており、その言葉通りに受け止めて相談しなかった。 代わりに、シャワーに隠れて泣いた。 職場で理不尽な責を負わされたときも、人間関係が拗れて途方に暮れたときも、コンペで優勝したときも、その祝勝会でわだかまりが本当に解消されたのだと実感したときも、一人で声を殺し、シャワーに涙を紛れ込ませていた。 夫の帰りが遅くなり、休日出勤が増え、外泊が増えても、夫の前で泣いたことはない。 それもこれも、人前で泣く女を毛嫌いする夫のためと思ってのことだったのに、なんと愚かだったのだろう。     
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