ミセスロビンソンと迷える子羊たち

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 我が家は母子家庭で、俺には父親がいない。産まれてこのかた二十一年間、父親に会ったことも写真すら見たこともない。母ちゃんは頑なにその名を語らず、どこの誰か知る者はいなかった。  おおかた処女を捧げた相手にやり逃げされて、失意のうちに俺を身籠ったと想像できる。そして、日々大きくなっていくお腹に慄きながら、なすすべもなく時が過ぎていったのだろう。周りが妊娠に気がついた時には、既に堕胎できない状態だったという。  その時、俺の母ちゃん、小田ちえみは十四歳。その昔、話題になったテレビドラマそのままで、世にいうところの「ヤンママ」となった。  義務教育である中学を卒業したものの、高校通学を諦めて通信制の高校を卒業した。将来「スカボローフェア」を継ぐ時に困らないようにと、調理専門学校で調理の基礎や喫茶店の経営を学び、お洒落系カフェで修行をしながら俺を育ててくれた。  母ちゃんの妊娠が発覚した時、銀行員だった祖父ちゃんは思い切って早期退職したそうだ。バブル経済の真只中、遊び半分で始めた株式投資でひと山当てたので、かなりの額の貯えがあったという。欲張らず目標額を達成した時、あっさりと手を引いたため、後に襲ったバブル崩壊の危機を免れたらしい。  そして、一家そろって生活拠点を変え、何もなかった郊外の町で喫茶店「スカボローフェア」を始めたのだった。
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