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 五右衛門風呂を焚くのって、ほんと大変だよなと思う。湯が温い場合は外で焚いている人に「もっと薪をくべて」とお願いしなくてはいけない。だから湯加減を調節するには、人力湯沸し役として、一人外に待機していなくてはいけないのだ。  ばあちゃんちの風呂は、蛇口からホースを伸ばしているから水を簡単に満たす事が出来る。でも井戸から汲んでいた時分は、いちいち汲んで釜いっぱいになるまで満たさなくちゃいけなかったんだ、そう考えるとますます気が遠くなる。  薪割りして、井戸を往復して、薪をくべてずっと火を調節して。こんな事を毎日やらなきゃいけないなんて。  おまけに、五右衛門風呂は入るのも面倒だった。  暗い夜道を風呂場まで行くだけでも怖いのに、中はゆらゆらと頼りない小さな裸電球しか無くて、点けても全然明るくならない。殆どが暗がりだから、それこそ妖怪垢嘗(あかなめ)でも出そうな雰囲気で、かなり怖い。  怖いから一人は嫌だ、という気持ちもあるのだが、それ以前に五右衛門風呂は大人と一緒でないと入れない。  鋳鉄製の釜は、下から熱せられてあつあつになる。そのままだと熱いので、木製の底板をぐいっと足で沈めて、その上に乗って入る。だがそのぷかぷか浮かぶ底板は、円いビート板のような感じで、子ども一人の体重では上手く沈められない。  しかも、釜のサイズがでかい。湯がなみなみ入っていると、子どもは座れば溺れてしまう。だから、お父さんの隣にそろっと入った後は、ゆらりと立ち尽くしたままになる。あつあつになっている周囲の釜部分にもたれる事も出来ず、気を抜けない。せっかく湯船に浸かっているのに、「寛ぐ」というにはほど遠い時間を過ごすのだ。  五右衛門風呂というのは、ピピッと簡単にお湯が張れるうちの風呂とは比べものにならないほど、面倒でやっかいなシロモノだった。  だがそこに、非日常でプチ冒険に近い楽しさがあったのも確かだった。
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