第二章 『仮初めの日常』

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「悪い、夜渡。購買行ってくるわ」 ー本当は行くつもりなどなかったんだけどな。 だが夜渡と食べる約束をしてしまった手前、自分だけ食堂で食べるというのにも気が引ける。 購買へと足を向ける俺を制し、夜渡はどこからともなく弁当箱を取り出した。弁当箱…というよりは重箱といっても過言ではないほど大きな風呂敷に包まれている。 「よければ、僕のお弁当一緒に食べませんか?」 俺の返事を聞かず、にっこりと笑った夜渡は腕を引いて目当ての場所まで引っ張っていく。 「お、おい…!」 片手に重箱を持ちながら、強引に腕を引っ張るその力は一体どこから来るのか。 わずかに浮かんだ疑問もすぐに霧散していってしまう。速足で向かう夜渡の速度に追いついていくのに思考がもっていかれ、気づけば中庭の一角へ座り込んでいた。 一度座り込んでしまえばもう動く気にもなれず、重箱の風呂敷を広げる夜渡の姿をぼんやりと見据える。 夜渡の濃い藍色の髪が木漏れ日に反射してまぶしい。 風になびく髪はシルクのように繊細で、一本一本が均等に並んでいるさまは美しい、と思う。俺自身、美しいと表すものにはあまり接したことがないから、よくわからない。 「……」 分からない、のになぜだか、夜渡の髪が、瞳が、肌が、声が。とても美しいものに感じられる。 まるで“そうあるように作られている”かのように繊細で儚い。 ー人形みたいだ。 俺はほぼ無意識に夜渡の髪に触れて、流れるように肌に触れていた。 ピクリ、と硬直して夜渡は俺に視線を向ける。日陰にいる今この状況では見えない濃い翡翠の瞳が、俺の目を見て歪に揺らいでいた。 「せん、ぱい」 どきりとしてしまう。 俺を呼ぶ夜渡の声が嫌に熱をはらんでいて、そこでようやく思考が戻ってくる。 「…ッ悪ぃ!」 即座に手を離し、夜渡の濃い翡翠の瞳から逃れるように地面へと流す。 膝に置いた手が汗ばんで落ち着かない沈黙がこの場を支配していた。何を言おうか、この状況をどう打開すればいいのか。コミュニケーション能力の乏しい俺に妙案が思い浮かぶわけでもなく、気まずい空気が続いてしまう。 何も言えずに横目で夜渡を見やれば、うつむいたまま動かない。
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