第二章 『仮初めの日常』

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「いやいやいやいや!!」 先に食べろと言ったのに、なぜ俺が食べさせられているのか。 しかもこれは俗にいう「あーん」というやつだ。リアルを謳歌している少年少女たちが行うであろうその行為を、なにが悲しくて男同士でやらなければいけないのか。 否定の意を込めて、全力で首を振る。 「いやおかしいだろ、俺は夜渡から食べろって…」 「僕が先に食べてしまうと、お弁当…残りませんよ?」 「…ま、まじで?」 言いながらなおも卵焼きを差し出す夜渡に短く葛藤するが、俺の腹が場違いに大きな音を立てたことで観念して卵焼きを口に含む。 絶妙な口触りに、俺好みの少し甘めな味付け。 噛み続けて気づいたが、卵焼きの中には海苔が入っていたようでしっとりとした感触が柔らかな卵焼きの感触とマッチしていて、ご飯が欲しくなるほどだ。 「美味いな、これ」 「お口に合ってよかったです」 夜渡は自身も卵焼きを口に含んで、幸せそうに顔をほころばす。 そして、何度か咀嚼した後素早く俵にぎりを箸に取って俺の目の前へ差し出してくる。もはや何を言うまでもなく、俺は俵にぎりを口に含んだ。 「これ、全部夜渡が作ったのか?」 小さめの俵にぎりを咀嚼し喉に通した後、ふと頭にわいた疑問を夜渡に投げかける。 「いえ、これは全て“先生”が作ってくれて…」 「先生…?」 「あ、えっと…お母さん、のことを僕は先生っと呼んでいるんです。なんか、変ですよね」 あはは、っと夜渡は乾いた笑いを零す。 母親のことをあだ名で呼ぶ奴はいるが“先生”なんてあだ名で呼ぶ奴は聞いたことがない。 確かに違和感はあるが、夜渡にとってそれが普通のことなら俺があだ名に対して何か言うのも変な話だ。ーというよりも、家庭の事情に深く首を突っ込んでも面白くない。 「別に変だっていいんじゃねぇの。お前がそれでいいならさ」 「―—―…はい、そうですね」 喉に小骨が刺さったかのような、煮え切らない声音で夜渡は言葉を紡ぐ。 そんな夜渡の一瞬の違和感は里芋の煮っころがしを口元に持ってかれて、問う機会を失ってしまう。咀嚼し、飲み込んで夜渡を見据えてみれば幸せそうにご飯を頬張っていて、先ほどの些細な違和感は霞のように消えてしまっていた。
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