増殖

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「どちら様で?」  何食わぬ声色でドアを開けずに大野が尋ねると、如何にも生真面目な野太い声が返ってくる。 「自衛隊T駐屯地の者です。こちらの地域住民の方々に避難保護命令が出ています。つきましては、本日中にK小学校の体育館へ避難して下さい。詳しい説明はそちらで行われます」 「本日中?あと4時間しか無いが……」 「急な事態なので。ただ、携帯電話の災害通知で1時間前に一斉配信されていると思いますが……」 「あぁ……充電が切れていたんだった」  大野は失敗したなぁといった顔で丸いテーブルの上に放り出しっぱなしの自身の携帯電話に目を遣った。  あまり人間関係の広い方では無い大野は、そういった事に関して時折無頓着であった。  幸太郎に至っては、災害通知の設定を非受信にしていた。  あのけたたましく鳴り響く着信音が嫌いだったのと、自分が受け取らなくても誰かの通知で知る事が出来るだろうと高を括っていた為だ。 「どうやら、この地域にはまだ回れていないようですが、通知に気付かなかった方々への広報車も今市内を巡回し呼び掛けを行っています。更に我々が最終通告としてまだ避難の済んでいない、明かりの点いているお宅にのみ出向きお知らせしております」 「どうして保護されなければならないんだね?」 「未知の伝染病が流行していますので」 「一箇所に集められたら、それこそ伝染しやすいのでは?」 「…………」  そこで自衛隊員は押し黙る。  命令に忠実な隊員は、その命令に疑問を持たずに遂行しているに過ぎなく、大野の質問に返せる答えは持ち合わせていなかった。 「……先程も言いましたが、これは最終通告です。それでは」  すると遠ざかる二人の足音がドア越しに響いてきて、大野はそこで初めてドアの向こうには二人居たのだと知った。
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