もしも最愛のあなたとの約束を守ったとしたら

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 昔は朝が弱くて、ぎりぎりまで布団から出られなかった。そのことで妻にはよく叱られたものだ。曰く、自分が朝ご飯を作っている時にのんきに寝ていられると腹が立つらしい。  昨日の冷凍ご飯を電子レンジに放り込み、味噌汁と出汁巻きを作る。卵二個に水大さじ一、ミリン大さじ二分の一、白だし大さじ二分の一。卵焼き器は熱しすぎないように。妻と付き合い始めてすぐの頃に教わったそのままのレシピでもう四十年以上になる。得意料理を聞かれた時は出汁巻きと答えるようにしていた。妻のレシピがおいしくないはずがない。  ご飯、味噌汁、出汁巻き、そして納豆を冷蔵庫から出して食卓に並べた。妻はネバネバ系やドロドロ系全般が苦手なのだが、なぜか納豆だけはいける。  寝室に向かう。妻はまだ布団で寝息を立てていた。いつの間にか昔と立場が逆になったのだが、全く腹は立たない。むしろいつまでもこうして朝ご飯を作ってあげたいと思う。 「夏帆」  妻の肩を叩いた。妻は顔をしかめて寝返りを打った。 「夏帆」  もう一度その名を呼ぶ。 「ご飯できたよ。冷めちゃうよ。ルイボスティーあったかい方がいい? 氷入れる?」  あと何度、こうして妻を起こすことができるだろう。  あと何度、「特別な今日」を迎えることができるだろう。  そう。今日は特別な日なのだ。だって、夏帆にプロポーズするのだから。 「あったかい方がいいです」  夏帆は寝ぼけ眼で答えた。 「ところで、あなたどちら様ですか?」 *  夏帆と初めて知り合ったのは大学の研究室主催テニス大会だった。当時おれは社会人一年目で、夏帆は大学三年生。  本当にただ一目惚れだった。 「ねぇ」  白昼のテニスコート。試合を見ている夏帆の横顔に声をかけた。夏帆が、私? という感じに少し首をかしげながら振り向いて黒いつややかな長髪がふわりと揺れたのを今でも覚えている。 「結婚しよ?」  おれたち二人の近くにたまたま人がいなくなった一瞬をついての、渾身のプロポーズだった。  なに言ってんだこいつ、とでも言わんばかりに夏帆の眉間に深いしわが寄ったのもよく覚えている。 「お断りします」  こうして出会って初日、プロポーズして一秒でおれは振られたのだった。
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