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産院に到着しても、しばらく陣痛は来なかった。妻は陣痛を待ちながらまるで優雅にテレビを見たり、院内の売店で購入したサンドイッチを食べたり、信じられないほどゆったりと過ごしていた。時おり助産師が様子を見に来るたびに、私は立ち上がり、それほど理解の追い付かない説明を真剣に頷きながら聞き、そのときを今か今かと待ち侘びた。
「そういえば、きょう、私たちの誕生日なんですよ」
子宮口、もう少しですね、と妻の下肢を探っていた助産師がそう言ったあと、妻は思い出したかのように呟いた。もう少し、とはどのくらい少しなのだ、もう少ししたら妻の子宮口はどうなるのだ、と気になったけれど、私はおとなしく口を噤んだ。
「私と夫の誕生日で、だからこの子も、同じに日に生まれたらいいなって思っていたので、まさか本当に、こんなことってあるんですね」
それは素敵ですね、と助産師が微笑み、ここでやっと、ほんの少しだけ、妻の表情に変化があらわれた。妻は自らの腹の上に手を置き、天井を見上げ長く息を吐いた。私は妻に駆け寄り、その手を握る。ついに来た、と思った。お腹、痛くなってきちゃった、と眉を寄せながら、それでもこのときまで妻は笑顔だった。
妻の手のひらがじとりと汗ばみはじめたのは、それからしばらくしてからだった。体温が一気に上がった気がした。ふう、と声に出して妻が息を吐き出し、私の手を強く握り返した。ひたいには汗の粒が浮かび始めている。
「おかあさん、ゆっくり息を吐いてくださいね」
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