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妻の背をさすりながら、え、と声が洩れる。
「もう生まれるんじゃないんですか」
声が裏返る。それは赤ちゃんにしかわかりません、と助産師は冷酷に感じられるほど落ち着き払った返事をした。こちらはこんなに必死なのに、そんなふうにあしらうなんて、と悪態のひとつもつきたくなったが、いやしかし、今だれよりも必死なのは妻に違いない。
妻の表情は硬かった。耐えている、というのは目に見えてわかった。妻は小皿に載せられたオレンジをわしづかみにし、乱暴に口に入れた。痛みに耐えながら咀嚼し、飲み込み、りんごをひとくち齧り、もういい、と言った。目は血走っていた。
妻は日頃から、優しく朗らかで、柔らかな空気をまとった女性だった。だから勝手に、出産だって穏やかなものだろうと想像していたのだ。痛みに耐える妻の手を握り、もうすぐだよ、がんばれ、と励まし、可愛い我が子が生まれてくる。そればかりを頭に浮かべ、身勝手な想像ばかりしていた。
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