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「は? 今日がどう特別な日なのかわからない?」  話しながら店掃除をしていた腐れ縁の文緒は、ふいに手を止め、なんとも訝しげな顔でこちらを窺う。 「少なくとも、俺にはてんで覚えがない」 「うわあ」  こちらの返事に、五十路のおっさんは冷ややかな目をして、げんなりと呻いた。  この反応は所謂、ドン引きというやつか?  いい年をして、こんなあからさまな反応を見せるのは、大人としてどうだろう。 「矢潮、女にとって記念日は重要なんだぞ。すっぽかすのはもとより、何の日かわからないとバレた時の女ほど怖えもんはないからな」 「ほう、経験者はかく語りき、か」 「ぐぅっ」  鬼気迫る表情で捲し立てるおっさんに一言告げれば、途端に黙り込む。  なるほど。能天気で怖いもの知らずのこの男が、ここまで過敏に反応するところを見ると、かつて、付き合った女だか細君だかから余程手酷い目にあったらしい。 (ゆづるさんの怒る顔は可愛いから見たいが、愛想つかされるのは勘弁願いたい。だがな――)  本当に今日が何の日かわからないのだ。  自分と彼女、どちらかの誕生日でもない。  付き合い始めた日でもない。  二人が出会った日も違うし、給料日でもない。  しいて上げれば、毎週この曜日は彼女の手料理をご馳走になっているのだが、それを特別と彼女が言うのは今更だろう。  アレではない、コレも違うと頭を抱えていると、文緒が突然、閃いたと言わんばかりに手を叩く。 「ひょっとして、アレじゃないか? 彼女の親御さんがこっちに訪ねてくるから、お前を紹介するとか」 (コイツ、なにとんでもないこと言ってるんだ?)  自分ではまったく考えもよらない文緒の予想に、一瞬、頭の中が真っ白になった。 「おい、つい最近、娘に恋人を紹介されたおっさん。相手の男の服装はどんなものだったか教えろ」 「お前、それが人にモノを頼む態度かよ。しかも、まだ癒えていない傷口に塩擦り込みやがって」  我に返って文緒の両肩を掴んで詰め寄ると、おっさんは何故か涙目で怒鳴る。  癒えていない傷ということは、どうやら、未来の婿候補を紹介された衝撃を未だに引き摺っているのか。  ――大切な娘が、男に掻っ攫われちまう!  つい先月、そう嘆いていた文緒は、私の発言で当時のことを思い出し、店の本棚に突っ伏したまま動かなくなった。  娘に男がいると知った父親の心境は、なんとも複雑らしい。  おっさんは再起不能。しかし、それに構ってなどやらない。  こちらも、突然降って湧いた問題の対策を必死で考えねばならないのだ。 (今日、彼女の親御さんが来ると仮定して。自分がゆづるさんの部屋に赴くまでに、彼らに失礼のない服を新調して、何か土産を見繕って……あと、なにすりゃいいんだ?)  正直に言おう。  自分は今、突拍子もなく彼女の親の来訪を予想され、大いに混乱している。
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