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 夕暮れ時、彼女の住むアパートへと続く道を歩く。  公園では子供達が「また明日」と元気に叫びながら、蜘蛛の子のように四方八方散り散りに走り、それぞれ家路を急ぐ。  帰路に着くのは子供だけではない。  スーツや作業着姿の大人達も仕事を終え、どこかしら疲れた顔で帰宅中だ。  他に気になるのは、あちこちから漂う料理の匂い。  この辺りは民家も多いので、夕方になると、明るく温かな光の漏れる窓から夕食の匂いが立ち込める。  「今日の夕飯はなに?」と思わず声を掛けたくなるようなおいしい匂い。  ずっと昔。今のような光景を眺めたり、感じながら、しきりに羨ましく思ったことがある。  しがらみだらけの自らの家を飛び出し、社会に……というか浮世に出たばかりの頃のことだ。  それまで持っていたものを全て捨て、身寄りも頼れる者もなく、たった一人でボロボロになりながら、その日を生き永らえる為だけに過ごしていた、遠いあの日。  家路に着く人々に紛れて行く当てもなく彷徨いながら、空腹をどう紛らわせて、どこを今晩の寝床にしようかと考える。すると、決まって今みたいに近くの家から料理の匂いがして、そこの家族の笑い声が聞こえるのだ。  料理の匂いを嗅いでも、楽しげな人々の声を聞いても、寂しいとは思わなかった。  物心つく前より孤独を散々味わわされると、そんな感情はすっかり麻痺してしまうから。  ただ、明るく温かな家も、出来立ての料理を囲み、朗らかに笑い合う家族も知らない自分が酷く惨めで滑稽なものに思えた。  地に足つかぬ半端者のクセに、元より持ち合わせていないものを羨ましがるなど、ないものねだりに過ぎないとわかっていたから。  結局、あの頃の自分は、心の底から寂しくていじけているガキに他ならなかったのだろう。  だが、今は違う。  あのときの自分が恋しがった光景を前にしても、羨ましいとは思わない。  カツカツカツと小気味よく革靴の底を鳴らし、アパートの外階段を昇る。  見上げる先――アパート三階、奥から三番目の部屋を窺えば、遠いあの日に憧れたのと同じ色の明かりが見えた。  その部屋に近付くと、料理の匂いもする。 (この匂いは、おでんか)  ツユの匂いが鼻をくすぐり、腹がグウと鳴るのと同じタイミングで、部屋のドアが開いた。 「やっぱり矢潮さんだ! 今晩は。いらっしゃい。今日はヤケにおめかしさんね」  コンロの傍は暖かかったのだろう。  すっかり上気した頬を緩めて、彼女――ゆづるさんが笑顔で出迎える。  私の幸せは、確かにそこにあると確信した。
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