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一人暮らしには手頃な広さのこの部屋には、彼女のお気に入りがそこかしこにある。
明るい色のカーテンに、ファンシーな柄のラグ。
部屋の隅に立て掛けている小さなキャンバスに描かれているのは、一面の菜の花畑。素朴で良い絵だが、まだ塗り残しが見受けられるので描きかけだろう。完成が実に楽しみだ。
部屋を温める小さなストーブの上では、赤いホーローのヤカンが湯気を緩やかに上げている。
こじんまりとした部屋を陣取るのは、折畳式のテーブル。彼女はここに料理を置いて食事をするだけでなく絵も描くから、天板に絵の具が付いているのはご愛嬌。
卓上にセットされているのは、パッチワークキルトの鍋敷き。なんだか見覚えがあると思ったら、少し前に彼女が着ていた服と同じ柄だ。――ということは、これは自作の鍋敷きか。
角に置かれたカラーボックスには、本や画材がぎっしり詰まっている。その内のいくつかは、私が贈ったものだ。
自分の贈り物が彼女の生活する空間に馴染んでいるのを見るのはなんだか気恥ずかしいが、それ以上に喜びと誇らしさを感じた。
ああ、それにしても、今日はどうにも落ち着かない。妙に浮足立っている。
ここにいるかもしれないと思っていた人達がいないのには安堵したが、まだこの後にでも来るのかもしれないと思うと、じっとしていられなかった。
「ゆづるさん、何か手伝うことありますか?」
台所に立つ彼女に尋ねれば、豆皿に入ったおでんのツユを渡される。
味見を求められているらしい。
白い皿の中で揺れる琥珀色の表面に、油がうっすら浮かんでいる。
鰹と昆布の合わせ出汁に醤油の塩味と風味が程よく混ざり、味醂の甘味もほんのりあった。
味に奥行きがあるのは、練り物や牛スジなどの具から出汁が滲み出たからか。
それにしても、大鍋の中、様々なおでんの具がツユに浸って顔を出している光景は、さながら銭湯で湯を愉しむ人々のようではないか。
満員御礼。どの具もいい具合にツユが染みて、美味そうに色づいている。
「美味しい」
「よかった! 矢潮さんがいると、本当に助かるわ」
ゆづるさんは満面の笑みを浮かべながら、大鍋から土鍋に具を移していく。
「私、何か役に立ちました?」
今のところ、味見しかしていないのだけれど。
「貴方がいることが大事なの。おでんって、沢山作る方が美味しいけど、一人ではそんなに食べられないからあまり頻繁には作れなくて」
この大量のおでんを見ると、彼女が頻繁に作れないと嘆くのも頷ける。
この量を作るのもそうだが、食べきるのも一人では大変そうだ。絶対に、途中で飽きる。
「でも、今は矢潮さんのご飯も作るでしょう。それだけでも、気兼ねなく作れるものが増えるのよ。それにね」
彼女はふと私を見上げ、ゆるりと微笑む。
「貴方と一緒にいられるのは、私にとってとても幸せなことなんですよ。料理だってね、貴方は私の作るご飯を美味しいと仰って、沢山お召し上がりになるから、それが嬉しくて張り切って作っちゃうの。あとは、ほら、今みたいにお手伝いを買って出てくれたり、湯気で曇った眼鏡を外す助手にもなってくれるしね」
そう言ってこちらに向けて見せた眼鏡は、確かに曇って真っ白だ。
それを仰せのままに丁寧に外し、彼女の頭に載せる。
そんな些細なことで笑い合いながら、自分と一緒にいることが幸せだと喜ぶ彼女に、心から感謝をした。
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