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意外だったのは父母の反応でした。募金をするにはどうしたら良いか。服は送ってもいいのかなど、かなり積極的でした。沖縄戦当時、母は3歳、父は5歳だったそうです。戦後復興の時代を生きてきました。それと重なると言います。
「那覇の街とかね、もう何もない。焼き野原さ」
津波の後、何もかも破壊された街の映像を見て言いました。
「自分の家がどこにあったかもわからないんだよね」
淡々と喋っているのですが、両親を亡くし途方に暮れた気持ち、明日はどうなるのかという不安を思い出しているようでした。彼らにとっては戦後70年経とうと現在進行形なんです。それは被災者も同じだと思うと話していました。
震災から数年経って、だんだん沖縄に届く情報は少なくなっていると感じます。意識しないと触れることができません。そんな中、福島の行政に関わっているというNさんとこの春、出会いました。
「福島のお米を一番購入しているのは沖縄ですよ」
「へー! そうなんですか」
「ブレンド米として流通していると思いますが、きちんと検査したものです」
「今度から表示を見ます」
「この検査もねぇ、ものすごくお金がかかるんです」
素人が単純に考えてもそうだろうと思います。どこまで検査するのか? いつまで検査するのか? どうしたら安全と信じてもらえるのか? 現場の苦悩の一端を見るようでした。
「いつか福島に行ってみたいです」
「ぜひ来てください。成田着なら車で迎えに行きますよ」
「え? 車で?」
「東京から遠いイメージでしょう? そうでもないんですよ。成田からだとかなり近いですね」
「はー。それだと福島に行くというのも遠い夢ではないですね」
「ですです。案内しますよ」
このように接点ができたことで、夢は前より少し具体的な目標に変わりました。いつになるかはまだわかりませんが訪れたいと思っています。今は、自分がいる場所でできることをすることが、どこか復興へつながっていると信じ、働くばかりです。
2018年の3月11日に。
了
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