特別な日

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 一瞬のうちに、山神は村長と村の重鎮たちをその口に収めてしまった。  彼らは断末魔をあげる暇もなく、山神に噛み砕かれ、飲み込まれる。  山神は鎌首をもたげ、生け贄だったはずの娘の傍に再びその首を寄せた。 『契約通り、確かに生け贄は頂いた。……だが、本当に良かったのか?』 「何がですか? 山神様」  娘は浮かべていた冷笑を消し、無表情で山神に応じる。 『いま食らった連中は生け贄になろうという様子ではなかったが』 「構いません。数日前にお会いした時、おっしゃってくださったではありませんか。生け贄に決まりはないと」 『確かに決まりはないが、面倒は御免被りたい』 「ご安心ください。村の者は私が上手く言いくるめておきますので」  こともなげに言い放つ娘。  それが苦も無く出来るという様子に、山神も納得したようだ。 『……人の理はよくわからぬ。お前に任せよう』 「ありがとうございます」  娘が深く頭を下げると、山神は再び洞穴へと戻っていった。  また百年の間、山の噴火を抑えるために眠りにつくのだろう。  山神を見送った後、娘は血痕すら残さず消えた自らの父親がいた場所に、蔑む視線を向けた。 「……お父様。あなたは知ろうとしなかった。しきたりだから、と生け贄の定義すら確かめず、私を生け贄にすることを選んだ。これが、その結果です」  娘はそうしなかった。  数日前、彼女が幼馴染みの協力を得て行ったのは、逃避行ではなく山神に会いにいくことだった。本来、儀式の日以外に山神の元を訪れるのは禁じられているのだが、そのままでは数日後に死ぬことが決まっていた娘にとって怖れることではなかった。  結果、山神と会話することができた娘は、捧げる生け贄に年齢や性別の区別が必要無いことを知り、自分ではなく、村長や村の重鎮たちを捧げてしまうことにした。 「私に生け贄になることの意義を教えてくださったのはお父様たちですから……まさか、自分たちが生け贄になることに文句はありませんよね?」  そう言って娘は嗤った。無論、応えはない。  こうして、彼女はその特別な日を生き延びたのだ。
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