特別な日

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 儀式は淡々と進められる。  代々伝えられてきた祝詞を唱え、山の神の慈悲にすがる。山の火を鎮めてもらう代わりに、生け贄を捧げることを告げた。 「お納めください、山神様」  そう締めくくり、平伏することしばらく。  洞穴の奥から、地鳴りのような音が響き、彼らの立つ地面を揺らした。 (き、来た……!)  岩と岩が擦れる摩擦音が洞穴の中から響いてくる。  ほどなくして、洞穴から巨大な生き物の鼻先が現れた。吐く息だけで大気が震え、巨木の幹のようなその姿が篝火に照らされて露わになる。 (山神様……!)  平伏した姿勢のまま、村長は顔を上げ、その存在を目の当たりにした。  蛇を思わせる長大な輪郭に、頭部に生えた神々しい角。かすかに開かれた口から覗く鋭い牙はこの世のあらゆるものを噛み砕けそうな鋭さを有していた。  白い鱗が篝火の灯りを反射し、その神々しさに拍車をかけている。  その圧倒的な存在感に、村長は息をするのも忘れて山神を見上げていた。 (なるほど……これは、仕方ない)  彼はしきたりの意味を改めて理解していた。これほどの力に縋ろうというのだから、生け贄を捧げる意味は確かなものだ。犠牲を払うだけの意味がある。  正直なところ、村長は心のどこかで娘の命を捧げる意味があるのかを考えてしまっていた。代々伝えられてきた山神の存在を理解はしていても、認識できていなかったのだからそれも自然な思考だったろう。  だが、こうして山神の存在を肌で感じれば、その力に縋るのが意味のあることだと理解できた。それだけの存在感が山神からは感じられる。  娘の死は無意味なことではない。  そう村長は感じ、その山神が己の娘を一呑みにする瞬間を見届けようとして、娘が立ち上がるのを見た。 (……! まさか、まだ逃げようと……!?)  山神の前で不作法なことをしようものなら、その怒りを買いかねない。それを防ごうと村長が声をあげようとした時、娘は山神に背を向けて、村長たちの方を振り返った。 「どうぞ。お納めください、山神様」  それが合図だった。  山神はその長大な身体を伸ばし、平伏する村長めがけてその巨大な口を開いて迫る。  村長が最期に見たのは、冷たく嗤う娘の姿だった。
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