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 この地方には神木と呼ばれる大樹が生えていた。数万年以上も前から世界に在るとされるそれは、人々に豊穣をもたらしてくれた。  人々は大樹を信仰の対象とした。慈しみ、愛し、なくてはならぬものとして大事に敬った。  ところがある日、大樹が突然枯れ始め、作物は実らず、疫病は流行り、戦が絶えなくなった。  妻の死に気の狂った男が、娘を大樹の供物として殺して捧げたところ、樹は力を取り戻し、全ての災厄は収まった。  娘の髪は、七色に輝く不思議な金の色をしていたという  それからというもの、人々は百年に一度、生贄の目印のように七色に輝く不思議な金の髪を持った娘を、『樹の花嫁』として捧げることに決めたのである。  ──母や長老は、立派な使命を持って生まれたのだとイリスを褒めてくれた。  褒められて悲しい気持ちになったのか、誇らしく思ったのかはよく思い出せない。  今は目の前の光景に集中しなければ。  ロッソが泣いている。ロッソのもらった剣は、目的地に着いたら持ち主の意志を無視して花嫁を刺すように魔法がかけられている。  自分のもらったペンダントは、樹が花嫁を自分のものとして認識しやすいよう、樹木が帯びた魔力を取り入れたものだ。小さなころロッソがくれたささやかな約束の指輪など、なんの効力も持たないほど強力な魔道具。  血が落ちて、地面の花にかかる。ひなげし。戦の死体が放置されているような場所でも花を開く、地獄の入り口に咲く花。  数えきれないほどの娘の血を吸って、ずっと昔からここに咲いていたのだろう。  ロッソが泣いている。何度も何度も、イリスの名前を呼んでいる。  ああ、愛おしいロッソ! 生贄に捧げられることが決まっていた人生で、あなたとの思い出が私を作り、あなたが私の全てだったのは真実だ!  あなたがこの先結婚して、可愛い子どもを作って、私とは成し遂げられない思い出を他の女と作ったとしても、今日みたいな体験を他の人とすることはないだろう。  それとも律儀なロッソは私に操を立てて、ずっと誰とも添い遂げず、惨めに惨めに一人死ぬのかもしれない。  どちらでもいい。イリスという存在を傷つけて、自身も傷つけて、彼の記憶の中へ永遠に今日が刻まれるのならば!  今日は特別な日だ。ロッソがイリスという女を永遠に忘れられなくなる、特別な日。
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