第4回心の処方箋 -初診-①

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今までそんな事を言われた事がなかったせいか、その後は私が辛かった事ばかりを負の感情に任せて話すようになってしまった気がする。 吉良さんはとは出会って日が浅いというのに、私は思いついた事を片っ端から隠す事なく話した。 今まで思い出しもしなかった記憶が次々と出てきて、とにかく私が話す時間が続いた。 「小4の時くらいだと思います。私が自分の部屋をなかなか片付けなかったために母に怒られたんですが、こんな事を言われたんです。」 『この家はね、お父さんとお母さんの家であって、あんたにはこの部屋を貸してあげてるだけなの。』 この一言はあまりにも強烈だったから今でも覚えている。幼心にもこれは傷ついた。 「そう言われて、家族って何かなって考えるようになったんです。」 相槌を打っていた吉良さんも、母の「部屋を貸している」発言には驚いたらしい。 「そんな事言われたんだね、まだ何もできない子供だったのに…。」 吉良さんは少し寂しそうな声で言った。 私はというと、彼が一言発する度に何故か泣き出したい気持ちになった。今はただ過去にあった事を目の前の人、否、死神に報告しているだけなのに。 「中学校ではソフトボール部に入りました。私の母校は強豪校で、先輩は全国大会に出場していました。私の代もあと一勝で全国という所まで行きました。」 中学生の時の話は、正直どうまとめて良いかわからなかった。部活動をしていただけで、私の家庭は崩壊寸前まで行ったのだ。 強豪校でソフトボールをする事に1番熱心になったのは、私ではなく私の父だった。 元々運動神経の良かった私は1年生のうちから試合に出されるようになった。 ルールを覚えきった頃には外野手として守備についた。守備は普通にこなしていたが、1年生でありながら打率がすこぶる好調で、初めてのホームランも1年生の時だった。 1番喜んだのはチームメイトでも顧問でも私でもなく、応援に来ていた父だった。 強豪校だったため、毎週日曜日には大会への出場か、練習試合、または県外への遠征などが行われた。 父は欠かさず応援に参加し、送迎の車の係も率先して担当した。 気が付けば父兄の会なるものが発足していて、父はその会長に就いていた。 日が経つにつれ父の行動は熱心さを超え、半ば執念と言わんばかりのものになって行った。 そしてそれが家庭崩壊の一歩寸前まで来ていた事に、父は全く気付かないでいた。
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