第5回心の処方箋 -初診-②

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第5回心の処方箋 -初診-②

「後は…アルバイトの帰りが15分でも遅いと店長宛に電話が掛かってきて、店長が怒られたりとか…。」 いくら未成年だったとはいえ、今考えると随分窮屈な生活だったんだなと思った。 高校時代の衝撃的な出来事は、まぁこのくらいだろうか。…というかこれだけであってほしい。 「大学生活はどうだった?」 吉良さんはずっと私の話を聞いていて飽きないのだろうか。あと、お医者さんみたいにカルテを書くでもなく、ずっと対面のソファーに座って私を真っ直ぐに見ていた。 「大学の時は東京で一人暮らしだったので快適でした。受験の時は大喧嘩になりましたけど…。」 「ん、その時は怒ったんだ?」 確かに私はあの時泣きながら親に進路について訴えた。 両親は地元の国立大学に入学して欲しかったのだが、音楽や映像に興味を持っていた私の興味を引く学部がなかったのだ。 担任教師も私に国立大学の推薦入試を薦めてきたが、これから4年間も興味のない事に費やすのは気乗りしなかった。高校を出たら働こうかとさえ考えていた。 ある日、美術大学を目指すクラスメートからとある大学のパンフレットを貰った。 そこには、音楽作成やCG作成のノウハウを学べると書かれていた。 東京の私立の大学だったが、まるで専門学校のようなカリキュラムで、最新の音響と映像の設備に、私の心は踊った。 親から何故か専門学校は反対されていたため、この大学ならばとパンフレットを持ち帰ったが、頭ごなしに反対された。 理由は一つだった、静岡県の大学ではない、ただそれだけ。 姉は偶然、希望の学部が静岡県にあったため、家から大学に通っていた。だが、姉を見ていた限りでは、大学に入って成人した後も母と門限の事で喧嘩が絶えなかった。 姉は自分の意見をハッキリ言う人だからその他でもしばしば親とは喧嘩していたが、母も母で融通がきかなかったようで、関係は悪化の一途をたどった。 それを見て育った妹の私が希望の学部がある大学に通いつつ、ちゃっかり一人暮らしがしたいと思うのは不自然でもなんでもなかった。 余談だが、私が高校生の時には姉は社会人で、私の受験の頃には愛知県に転勤になった恋人と同棲する事になり、家を出て行ってしまった。 後に姉から聞いたのだが、窮屈な家での暮らしを見るに見かねた姉の恋人が半ば強引に連れ出してくれたらしい。 姉も父もいない母との二人暮らしを4年間…それは考えられなかった。
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