第5回心の処方箋 -初診-②

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全国統一模試が行われる日曜日の前日、父が家に帰ってきた。無論、進路についての話をするためだろう。 父も母もとにかく国立大学に行くように私を説得にかかった。その方が就職にも有利だと。 では県外の国立大学で興味のある学部がある大学へ行きたいと言うと、やはり却下された。 静岡県の大学と行っても家から通える範囲にある大学は当時は少なく、通う大学が限定されているようなものだった。 結局は親が決めてしまうのではないかと私は珍しく怒りを隠せなかった。 そこで、 「私が特待生で私立大学に合格したら入学させて貰えないか。」 と、私なりの譲歩案を提案したのだが、「誰が授業料の問題だと言った?」と一蹴されてしまった。 それでも私は諦めなかった。 今思うと遅い反抗期だったのかもしれない。 さらに、途中からは大学の事より家を出たいという気持ちの方が強かった気がする。「ここで負けたら私は一生家から出られないかもしれない」などと、恐怖感すらあった気がする。 家族会議は深夜まで続き、結論もでなかった。 目をと頬を真っ赤にして泣く私に、母は「明日の模試は休んでいいから、また明日話をしよう。今日はもう寝なさい。」と言った。 話をする余地があると言っても、明日もどうせ同じ事の繰り返しだろうと思うと中々眠れなかった。 翌日、意外な出来事が起こった。 「東京の大学、受けてもいいよ。」  両親の口から驚くべき言葉が飛び出した。 「ただし、静岡の大学も受ける事。」 そもそも東京の大学だってレベルが低いわけではなかった。受けたからといって必ず受かるとは限らない。 滑り止めを含め、3箇所の大学を受験する事が条件となったが、受かりさえすれば希望の大学に入学出来る上、一人暮らしまでできると思うと、受験科目が増えようが何だろうが苦ではないと思ったし、何より泣きながらでも説得を続けた甲斐があったというものだ。 そして後日、私は希望大学に特待生枠で合格した。 けれど両親は全く褒めなかった。 静岡の国立大学への入学をしなかった事が余程面白くなかったのか、お金は出してくれたものの、東京の大学への入学金の払い込み手続きや、一人暮らしに必要なものの買い出しは、殆ど自分でやる事になった。 「特待生なんて格好いいじゃん!」と言って手伝ってくれたのは姉で、姉はこれで東京に遊びに行けるようになると不純な動機はあったものの、一緒に喜んでくれた。
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