第5回心の処方箋 -初診-②

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大学の時は基本自由だったが、アルバイトについては別だった。 夏休みのような長期休みは必ず実家に帰る事、というのが約束で、東京で長期のアルバイトをする事が出来なかった。 かといって夏休みにや春休みに入ってから静岡でアルバイトを探すのは出足が遅く、母が休みに入る前にアルバイトを探しておくというのが多かった。 面接の申し込みの電話を、私の振りをして母がかけておいた事もある。 毎回ではないが、長期休みは派遣でフルタイムで働いた事もあり、東京の友達と遊べない事が悔やまれた。 でも我慢して働いておけば、いざ東京で遊ぶ時の資金になると割り切り、化粧品工場だのアンケート調査員だのデパートでの催事だの、いろんな所でアルバイトをした。 東京での4年間はあっという間に終わった。 就職も静岡でするという約束だったので時々静岡に帰ってきてはセミナーに参加していたものの、結局就職活動はうまく行かず、派遣で働き出したものの、1年経たずに心療内科のお世話になる、という流れだった。 「だから国立大学にしておけば良かったのに。」 と母に何度言われたかわからない。 東京の大学へ進学した事で就職に影響が出たとは、私は思っていない。確かに往復はきつかったが、単に私の就職活動の仕方が甘かっただけだろう、自覚がある。 会社を退職してからしばらく治療に専念しようと思っていたが、母は「仕事を辞めると、すぐ治ったりするものよ。」と、あまり理解がなかった。 投薬治療をしていたが、薬を飲んでいても落ち着かず、何もしていないのに時間に追われるような気分になる事があった。 薬の副作用が強く、昼間は眠くて眠くて仕方なく、一日中ベッドで過ごす事もあった。しかし、母から見ればサボっているだけに見えたのか、私の事を心配する様子はほとんど見られなかった。 「調子が良い時は薬を飲むのをやめてみたら。」 などと、平然と言った。 医者が絶対に中断してはならないと言っていると説明しても、母は度々同じ発言をした。 大学を卒業してからは母と二人暮らし、仲良くやって行かねばならないのに、それは難しく思われた。
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