第5回心の処方箋 -初診-②

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思えば我が家は4人家族なのに、母以外は全員県外に出ていた状態だった。 私は東京に、姉は愛知に、父は福井から異動が何度かあって最終的には神奈川に、という具合だった。 少なくとも4年間は一人暮らしだった母の「お一人様スタイル」は完全に確立されていた。 そこに「お一人様スタイル」を確立していた私が帰ってきたのだから、お互い住みにくくて当然ではあった。 ただでさえ口うるさいのに、不運な事にそこに更年期がぶつかった。 母の更年期は体調が悪くなるというよりは気分が悪くなるようで、午前中機嫌が良かったと思うと、午後は一変、理由もはっきりしないまま突然私に怒り出し、当たり散らすようになった。 今思えば、心療内科に通っている状態だったのに、よく耐え抜いたと思う。この場にいない父と姉に対して助けを求めるべきだった。 そうしなかったのは私だが、常に家族をほったらかしてきた父の事を特に恨んだのは言うまでもない。 母を押し付けられたというより、「父の妻」を押し付けられた気がしていた。 母はシャンプーやコンデイショナー、洗顔料に歯磨き粉は私に自分で買うようにと言った。 母のシャンプー類は美容院で買った値段の高い物だったので、髪の長い私が使ったりしたら、あっという間になくなるからだという。 洗顔料も通販で取り寄せていたものだったし、歯磨き粉も歯周病用の少し高い物だった。 ここでまた、私には子供の頃からの課題に直面した気がした。 家族ってなんだろう、「良い物を使っているから貴方も使ってごらん」ではなくて、「勿体ないから貴方は使わないで。」と突き放すものなのだろうか。 さらに、家でインターネットをメインで使うのは私だったので、インターネットの基本料金も私が払うべきではないのか、と母は言った。 ここは私の実家ではないのだろうか。 子供の頃言われた一言が有効なら私の部屋は借り物で、共用できそうな生活用品も全て自分で用立て、インターネット代も自分で支払うのでは下宿と大差ない。 食事の用意に片付けも手伝っていたし、頼んでいた事と言えば洗濯くらいだった。 仕事をしていた頃は生活費は3万円を渡していたが、母は「3万円では一人で生活していけないでしょう。」と不満な様子だった。
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