第1回心の処方箋 -カウンセリングルーム-

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私が初めて心療内科を訪れたのは、大学を卒業して働き出してから1年も経たない頃だった。 働き出したといっても、希望通りに正社員で就職出来たわけではなく、取りあえずは派遣で就職をしたのだった。 働き出したのはいいものの、得意だと思っていたデータ入力の仕事はそう上手くは行かず、大変なものだった。 1日の入力量のノルマは明らかに達成が不可能な値が設定されていて、達成出来なければどうして達成出来なかったのか報告書を書かなくてはならなかったし、僅かな入力ミスでも報告書を書かねばならなかった。 残業は当たり前で、休日出勤も多かった。残業ができない派遣社員は契約を切られる事もあった。 休憩時間を削って入力をし、残業後に家に帰ってから報告書を書く事で睡眠時間が減る日々が続いた。 お金を稼ぐ事はできたが、1日の中に自分の自由になる時間などなかった。 そんな生活が続くうちに、会社が息苦しい場所になるのは必然だった。 最初は気分の問題だと思っていたが、しばらくして本当に呼吸が苦しいと感じるようになった。 仕事を続けるうち、事件は起こった。 目標を全く達成できていなかった同僚が、上司から叱責を受けた直後に、過呼吸を起こして倒れたのである。 私は過呼吸を実際に見たことは無かったが、何故か知識はあったため、慌てて紙袋を探した。 「紙袋ありませんか!」と叫んだ事を今でも覚えている。 まわりには過呼吸に対処できる人がおらず、私が落ち着くまで対応したが、人が一人倒れているにも関わらず、仕事の手を止めない人もいた。 呼吸が落ち着いてから同僚は名ばかりの休憩室に寝かされた。それからしばらく経って泣きじゃくりながら早退して行き、その後2度と出社する事はなかった。 同僚が会社を去って数日後、私の体にも異変が訪れた。朝起きて着替えをするものの、その後は体が全く動かないのである。 部屋のベッドでぐったりしたまま欠勤を余儀なくされる日々が増え、出勤をしたとしても呼吸がうまくできない事が続いた。 過呼吸を目の当たりにしていた事から、自分にも同じ事が起こっているのかもしれないと思った。 私は初めから心療内科に行ったわけではなかった。 最初は近所の内科で安定剤を出してもらい、何とか仕事を続けていたものの、症状は悪くなるばかりで、内科の医師が紹介状を書き、心療内科を受診する事になった。 そして同時に私は会社を去った。
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