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 聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、振り返るとそこには椎名が立っていた。初めて見る私服姿は、薄手のカットソーにジーパンで、どうみてもご近所スタイルだ。いつものスーツスタイルでない椎名は更に若々しく見えた。 「やっぱり葛岡さんだ。もしかして葛岡さんもこの辺りに住んでるんですか?」  満面の笑みを浮かべる椎名は、まるで飼い主にしっぽを振りまくるワンコみたいに人懐っこい。 「いや──、昨日越してきたばかりで」 「そうなんですか!俺はここの近くの大学卒で、上京してきてからずっとここに住んでるんです!」  椎名と広務は同じ営業部に所属しているものの課が違うため、特に今まで関わったことなどない。すれ違えば会釈くらいはするが、私語を交わしたのだって、先日の喫煙所の時が初めてだ。  なのにこの、ぐっと懐に入ってくる感じ。面識がある程度の人間と距離を縮めるのが上手い。こんなふうにパーソナルスペースに入ってこられても、全然嫌な感じがしない。部長が一課に引き抜くくらいだから、きっと営業向きの性格をしているのだろう。  しかし広務だって長年営業職に携わってきた。距離感の近い人間を(かわ)すのだってコミュ力の一部だ。プライベートでまで会社の人間と関わるつもりなどない。 「商店街がにぎやかでとても良さそうな町だね。また機会があったら──」  「飲もうよ」とちっとも本気ではない社交辞令で立ち去ろうと、言葉を続けた瞬間だった。 「とーちゃーーーーん!!」  美容院の表で立ち話を繰り広げていたのが悪かった。  首に白い散髪用ケープを巻かれた瑛太が、店のドアを開けて出てきたのだ。 「とうちゃん!俺、五時に帰るから鍵開けといてよ!」 「と……、とうちゃん?」  広務にこんな大きな子供がいるとは思わなかったのだろう。椎名は目を見開いて、広務と瑛太の顔を交互に見た。  社で広務がバツイチなことは、同期と上司先輩の間では知られている。入社時はバツイチ子有りなことを飲み会などでからかわれたこともあったが、それも最初の頃だけで、最近は人の口の端に上ることもなくなっていた。  本社勤務の短い椎名などは、広務の離婚歴を知らなくてもおかしくない。 「とうちゃん、この人誰?」 「お父さんの会社の人だよ。瑛太、挨拶できる?」
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