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 一人でも大変なのに、男子が四人もいる家庭とはどれだけやかましいことだろう。そんな家で育った椎名ならば、瑛太一人くらいかわいいものなのかもしれない。 「じゃ、また……」  想像するとどっと疲れが押し寄せたような気になり、広務は早々に退散することにした。しかし椎名はちょっとだけ背を丸め、広務の顔を真ん前からじっと見つめてきた。 「なにか……?」 「いや、今日はいつもの葛岡さんかな、と思って」  喫煙所での痴態が思い返され、カッと頬に熱が集まる。普通に考えて、大の大人があんな泣き顔をさらした場面を見たことなど、すぐに忘れたふりするのがマナーだと思うのだが、椎名という男は空気が読めない人間なのだろうか。 「あのっ、すいません……。こんなこと言われても困りますよね。でもずっと気になってて」  そりゃそうだろう。先輩の泣き顔なんて見たら、広務だってしばらくは気になると思う。しかしそれを言葉にして言うのは、恥の上塗りをされているようなものだ。  黙っていると、さすがに広務の触れられたくないことに触れてしまったと気がついたのだろう。椎名は無理やり笑顔を作り、一生懸命話題を変え始めた。 「あの!もう商店街見てまわりました?肉屋の惣菜とかめちゃくちゃ秀逸に美味くて、俺のオススメは唐揚げとコロッケなんですけど──」 「ああ、そうなんだ。今度時間があるときにでも行ってみるよ」  広務が抑揚のない声でそう返すと、見る見る椎名の空元気はしぼんでいった。まるでご主人様に叱られた飼い犬だ。垂れた耳が見えるようだ。 「じゃあまた」 「はい……。お疲れ様です」  わざとつれない態度を取ったことに、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、心が痛む。それだけ椎名は人懐っこく、親切で嫌みがない性格は好感が持てる。  だからって、椎名と馴れ合うつもりはない。仕事とプライベートはわけて考えるのが広務の信条だ。  それに親として一人前になるためには、他人に弱みを見せるわけにはいかないと思ったのだ。
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