12人が本棚に入れています
本棚に追加
リバーシブル・カット
メタリックグリーンの単車のハンドルを握ったまま恐らく放心している男を、俺は横断歩道のど真ん中で、情けなく腰を抜かしながら見上げていた。
その間、約十秒。
男は思い出したかのように単車を飛び降り、俺に駆け寄った。顔はフルフェイスのメットでわからない。
「大丈夫ですか!?」
俺は我に返って、
「だ、大丈夫大丈夫」
と返した。男がグローブとメットを外す。現れたのは、短髪に険しい瞳をした、大学生くらいの青年だった。
青年はふと気付いたように路上に手を伸ばす。眼鏡、俺の眼鏡だ。青年は眼鏡が無傷なのを確認してから手渡してくれた。
「どこか、痛むところはありませんか?」
誠実そうなその声音、俺はすがるように差し出された手を取った。
「はい、オッケーでーす」
急に辺りから緊張感がなくなる。これはロケだ。だが、ドラマでも映画でもない。
前例があるのかは知らないが、実写版の『男同士の恋愛シミュレーションゲーム』のロケだ。
俺は眼鏡の似合うクールな敏腕弁護士、長岡役。仕事に行き詰まって赤信号を無視したところで単車にひかれそうになるシーンを、今撮ったのだ。
そのお相手は、近寄りがたい雰囲気を持った無口な大学生、牧野役の遠田くん。ワンカットの動画シーンの撮影が終わると、彼は左手で両目を乱雑にこする。すると一転、彼は親しみやすそうな大学生に変わる。表情は笑顔だ。
「やったね嘉島さん、一発オッケーですよ!」
彼は本物の大学生。役者志望でこのゲームのオーディションを受けた。俺はと言えば、パッとしない劇団に所属する、一応本物の役者。この仕事、意外と報酬がいいから受かったときはかなり嬉しかった。男との絡みには抵抗があったが、背に腹は代えられない。
「移動しますよ~」
カメラマン兼デザイナーの社員から声が掛かる。今日は俺と遠田くんの野外シーンの撮影日。さっきは遠田くんがタチで俺がネコだったが、シナリオはリバーシブルで、同じ撮影日に俺がタチになり遠田くんがネコになる。移動の関係でタチのシーンとネコのシーンの撮影が入り交じっていて、……難しいんだよ! さっきは俺と遠田くんとの出会いのシーンだが、次は喧嘩を売ろうとしている遠田くんを止めに入るシーン。俺がタチになる。表情や仕草の微妙な変化が難しいんだ、この仕事は。
最初のコメントを投稿しよう!