「原材料」

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「原材料」

最近ラジオ配信の若いリスナーの方から、「19歳のときどんな大人になりたかったか」という趣旨のコメントをいただいた。そのときは僭越ながら自分なりの思いを語らせてもらい、結論で言えば「なるようになる」というようなことを回答としたのだが、せっかくなので改めて書き残しておこうと思った。 私が19歳のときは高卒ですぐに就職して1年経った頃で、「自分とは」などという概念は語れるものではなかった。ただみんなが就職するから私も働く、先輩がこれをやれというから従ってやる。自分で選び遂行したと言えるものは数えるほどしかない。 私が心から尊敬する大好きなある人がこう言っていた。 「人間は25歳までバグってる」。25歳頃まで人は、後々「どうしてあんなことしたんだろう」と自分でもよくわからないような行動を重ねてしまうという話だ。その意見にはすごく共感できて、私も意味のわからない散財をしてしまったり見当違いな"痛い"行動をしてきた過去がある。誰もが通る道で、かつそれは人間を造る上で必要なものなのだと思っている。 そうして失敗や恥を繰り返した結果、いよいよ「自分」というものが固まってくるのが20代後半からだと私は思う。自分の考え、意志、こだわり、歴史など「自分がどんな人間か」を理解できるようになるのがその年代。 19やハタチの頃に「どんな大人になりたいか」などと考えていても、よほどの固い決意や努力がない限りはその通りにはいかないものなのだ。今この瞬間にその手に持っているもの以上にキラキラと輝く未知の「何か」と、今後出会わないわけがない。必ず人は、より自分の価値として取り込めるものを貪欲に求めていくからだ。自分自身の原材料を、人は常に取り込んでいくものだと思う。 何を原材料とするのか、何を選ばないのか。自ら得るものもあれば受動的に入ってくるものもあるだろう。しかし最終的に「原材料名」として品質表示に書き込むかどうかを決めるのは自分だ。周りの人は原材料を知り魅力を感じればその人物に対して信頼を置く。原材料に不信感を抱くのであれば距離を置く。食べ物とよく似ている。忘れてはいけないのが、いくら上質な原材料を持っていたとしても人に知らせることを怠ってはいけない。といっても自らそれを言い回って「宣伝」しろと言っているわけではない。自分の素材を使い、発揮し活かすことのできるものを見つけて発信していくということだ。その原材料を得た結果として、絵を描くことが得意であれば、文を書くことが得意であれば、人間観察が得意であれば、身体を動かすことが得意であれば、声を出すことが得意であれば、人を律することが得意であれば、守ることが得意であれば、重大な選択を迷わず行うことが得意であれば。それぞれ、何をすれば最大限に自分を輝かせることができるのかという道が絞れてくると思う。 重ねて言うが今現段階で原材料になり得る出来事を予測できる者など一人もおらず、大人には「なるようになる」と思う。先のことが想像できなくてもそれでいい。想像できなくたって、嫌でも未来はやってくる。 最後に、これはあくまで「自らの糧になりそうなものは強引にでも掴みに行く」という私の持論であることをお忘れなく。
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